朝、少し遅めに起きる。ネコのエサ、食器の片付け。
しばらく某翻訳チェック。
そのあと、二度寝してしかも結構寝てしまう。私鉄の乗り換えを間違えて知らない方向に行く夢を見ていた。ときどき見る夢だが、小さい頃に阪急の淡路駅あたりで間違った路線に乗った記憶がいまだに残っているのかもしれない。
シリアル、朝刊。ちょうど長島愛生園の連載がやっている。
お昼、某学会誌に目を通す作業。
お昼すぎから夕方まで、某学会のオンライン委員会。
昼食は遅めにカレー。
夕方、読書。
夜、近くのドラッグストアに買い物に行く。それから夕御飯を作って食べる。
下記、セールで購入。プロジェクタで見たらあまり変わらないと思うが、買っておいた。
リンダ・ロンシュタットのドキュメンタリー映画、amazon primeで途中まで。おもしろい。エミリー・ルーやボニー・レイットなどの女性歌手との連帯もあったようだ。彼女もパーキンソン病なのか。
下の曲はアルバムに入っているのよりもかっこいい。アルバム(Heart Like A Wheel)のバージョンは、ピーター・アッシャーがプロデューサーで、たしかに言われてみれば後期のビートルズの感じがする(ギターソロのあたりとか)。
美容整形に関するこの本も一通り読了。おもしろかった。とくにおもしろかったのは、一つは美魔女の分析のあたり。女性は若く美しくないといけないという規範がある一方で、年齢にふさわしくないほどの若いふりをするのはいけないという規範もあって女性は大変だ。「年相応であるべきだ」とか「ありのままでよい」というのは、たしかにエイジズムに対する対抗言説である側面もあるが(105頁)、私にはこれ自体が「年寄りは年寄りらしく」というエイジズムの現れであるように思える。
もう一つおもしろかったのは第3部の医師のインタビューを通じた美容整形の社会的な位置付けの話。川添2013の方にもこの話はあったが、医師へのインタビューでいろいろ診療科や学会の対立関係があることがわかっておもしろい。また、整形で外側の身体を治すか、カウンセリングで内側の心を治すか、というテーマもおもしろい。このテーマはトランスジェンダーの問題にも関連するように思われる。
なお、自己満足については前の著作(『美容整形と化粧の社会学』2008年、新装版2019年)からさらに掘り下げて検討がなされている。とくに「自己」とは誰のことかに着目して考察されているが、むしろ「満足」とは何なのかについてもよく考えるべきだったのではないか。私は自己満足というよりも自己評価(self-esteem)の問題のように思えた。すなわち、(おそらくはときに低い)自己評価を上げるために整形を受けるということだ。
いずれにせよ、この自己とは誰かという問いと、他者評価の他者とは誰かという問いが問題にされ、コミュニケーションを通じて自己が形成されるというような話なので、関係的自律のようなことを問題にしたいのかもしれない。「個人」(自分の身体のことは自分で決める)と「社会」(社会が美の規範を強制してくる)という二分法を否定して自分と家族や友人などの他者とのコミュニケーションに注目もするというのは興味深い(175-6頁、238頁など)が、自分も、家族や友人などの他者も、やはり社会から影響を受けているので、自分の周りの人間関係と社会の関係がどうなっているのかが気になった。SNSの影響については今後の研究課題とあった気がする。
あと、やはり美容医療は女性の問題として基本的に論じられているように思われるが、これが単なる社会構築と考えるべきか、進化心理学的な観点も必要なのか。これについてはさらに勉強する必要がありそうだ。
さて、あとは自分の頭で整理して考えないとな…