定時起床。少しだけメールの返事。シリアル、朝刊。大統領選の結果はまだ決まらず。
朝、娘をバス停まで送り、歩いて大学へ。午前中はChromebookのキーボード問題にしばらく悩んだ後、ゆっくり某書評の作業を始める。〆切がないと働かない男。
お昼、百万遍の某コンビニでパンなどを買って食べる。
お昼すぎ、オンラインの打ち合わせに参加しながら、某くんに手伝ってもらっていろいろ仕事。
昼下がり、某演習。アイヌの遺骨返還の議論。娘が来る。
夕方、しばらく仕事をしてから娘とバスで帰宅。
夜、夕食。食後、スイッチをしたり、夕刊を読んだり。英国の某先生から何かCOVID-19について書いた論文があれば送ってくれと連絡。何か書かないといかんな。
夜中、シャワー。寝るべし。
ぼううぼう
品川先生の『倫理学入門』の書評をしないといけないので、ちょっとメモって行こう
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月5日
「まえがき」の「領野」とか「城としての倫理理論」といった比喩はおもしろい。だが、倫理学が領野なのか、倫理学は城で、そこに住む人々の生活の場が領野なのか、はっきりしない気がする。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月5日
道徳と倫理を区別している。ウィリアムズ的な理解(道徳は社会道徳、倫理はどう生きるか)。「よいひと」という表記、「よい」は平仮名でもよいが、「ひと」はなぜ平仮名か気になる。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
ここの道徳と倫理の区別は複雑だな。他人に関わる行動の規範=道徳、自分に関わる行動の規範=倫理と読めるところと、社会の規範=道徳、自分の生き方の選択=倫理、と読めるところがある。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
ちょっと混乱していると思われるのは、「郷に入れば郷に従え」という教えは、実用的な知恵であっても、倫理でも道徳でもないというところ(4頁)。倫理については、思考を放棄しているという意味ではそれでよいと思うが、「他人への生き方への抑圧につながる点で」道徳ではないと述べているが…
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
社会の規範であるかぎり、不道徳な規範であったとしても、道徳に属する規範であることにはかわりがない。つまり、不適切な社会規範は、そもそも道徳ではないという話になっていて、混乱する。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
これはmoralとかethicalが、「道徳・倫理にかかわる」という意味と、「道徳的・倫理的によい」という意味の二つを持っているので混乱するところ。入門・医療倫理IIの9頁に書いたが、ここはやはり最初に断っておかないと混乱が生じやすい
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
「倫理と道徳は重なりあう」のところも、倫理・倫理的という言葉が、「倫理的によい」という意味で使われているように読める(6頁)。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
アリストテレスやカントの紹介の仕方は基本的情報は出さずに思想家の一側面だけ切り抜いて紹介していておもしろいな。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
「倫理的判断は現実を伝えるのでなく、現実を創り出そうとする判断…である」(8)。direction of fitが違うということだろうが、「創り出す」というのが曖昧で、たとえば、「ホロコーストは不正だった」という過去に言及する判断をどう理解するかを説明しないといけないだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
10頁の「道徳」の使い方も先ほどの話で気になるところで、「社会の構成員全員にあてはまる自他の選択の自由を尊重する道徳の次元」とあるが、道徳をこのように定義してしまうと、自他の選択の自由を尊重しない社会には道徳がなかったことになる。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
9-10頁のあたり、倫理的判断と区別される「である」「がある」という(事実)判断については、分析判断と総合判断のような用語を導入した方がわかりやすいと思うが、どうなんだろうか。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
「倫理について考える学問、倫理学が、なぜ必要か」のところはよく書けている。ただ、「カントは、「である」「がある」の判断における真理をめざす頭の働きを理論理性〜」の部分は、先ほどの指摘に加えて、「頭の働き」というのが気になるが…
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
14頁3行目の「指示」は「支持」だろうか。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
規範倫理学、記述倫理学、メタ倫理学の区別をして、応用倫理学はその三つの側面があるので「次元が別」とするのはそれでよいと思う。メタ倫理学が「語の意味の分析」(14頁)とするのは、少し限定的すぎのように思う。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
「善と正の違い…」のところは、厳密には、right(正しい)とjust(正義に適った)がどういう関係かを明確にしてほしいところ。慈善が不完全義務だとして、その義務をなすのは正しいことだが、正義によって要求されていることではない、など。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
もう一つは、ここまで「よい」と平仮名で書いてきて、ここでは「善」と「正」の区別としているのも気になる。善い、良い(さらに好い)などがどう違うのか、なぜ「よい」と書くのかについて説明がほしいところ。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
18-19頁、慈善の義務は不履行の場合であっても権利の蹂躙ではないから不正とは呼びがたい、という話は、「不正」と「不正義」が区別されていないようだ。私なら、正義には反していなくても、不正(wrong)には違いない、と言うだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
不正と呼びがたいとすれば、そもそも義務とは考えられておらず超義務と考えられているからだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
なるほど、的をつけるかどうかで区別するとたしかによいですね。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
「倫理規範をグルーピングする」のところは、義務・権利・正義・平等のグループ、善行・慈善のグループ、その他(責任、ケア)のグループに分かれるようだが、どういうグルーピングかはっきりしないので、私なら最後に表にするなりまとめるな。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
自然法と自然法則のところはよいと思う。ただ、目的論的世界観がガリレオやデカルトによって「粉砕された」とまで書くと、ラマルクとか目的論的な進化論者もその後出てくるので「重大な挑戦を受けた」ぐらいにするほうがよいかなと思う。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
法と倫理の関係についてはとくに異論はないが、「法と道徳」にしてはどうかなと思うところ。「ハーバード・L・A・ハート」「ひとおよびフランス市民の権利宣言」という表記が少し気になった。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
政治と倫理(道徳)の関係についての記述は、とくに異論はない。政治は力だ(倫理は無関係)というリアリズム的な立場は、政治のみだけに見られるものではないので、その視点からよく考える必要があると思う。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
倫理と経済の関係のところもとくに異論はない。倫理学の入門書として、こういう隣接領域との関係に言及するのはとてもよいと思う。ただ、道徳、政治、経済のすべてに「各人が自分のよいと思う生き方を実現する」というリベラリズムの考えが前提されているのが少し気になる(37-38頁)。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
また、ロールズの善の構想という「概念には善という倫理規範が含まれているから、普遍妥当性の要求を含意している」(36)という記述は気になる。「善」はthe goodなので、「よさ」であって、各人がもつ「よい人生設計」に関して普遍妥当性を要求するなら、多元性の事実と衝突するだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
宗教と倫理の関係のところも、最近の入門書では言及されていないので、評価されるべきだと思う。ただ、なぜ宗教が倫理と結びつくのか(41頁〜)のあたりは、もう少し丁寧な議論が必要な気がする。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
とくに、宗教も倫理も「現実を伝えるのではなく、現実をどのようにうけとめるかを語っている」(41頁)というまとめは、宗教は倫理のように現実を評価するだけでなく、現実を説明するという役割もあると思うので、ちょっと粗いと思う(8頁も参照)。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
また、「倫理と対比された意味での道徳はおのずと無宗教的なものになるだろう」「かくして倫理と対比された道徳の次元では、宗教は姿を消す」(43-44頁)というところも、リベラルな社会における社会道徳を「道徳」として定義していて、そうするとイスラム社会には道徳はないのか、と尋ねたくなる。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
やっと第一章を読んだ。読むの遅いんだよな。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
『倫理学入門』第二章の倫理理論。ホッブズのところの契約にいたるフローチャートはわかりやすいな。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日
ホッブズの論理の説明は内井先生の説明が(もっと長いが)よいと思う。内井先生はホッブズがかなり好きなんだろうと思う
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月6日