え、こだまの世界?

A day in the life of...

某研究会(合評会)など

定時起床。昨晩飲んだせいか、調子が悪い。シリアル、朝刊。

昨日今日と二日間の研究会で結構勉強というか刺激になりました。

朝、娘たちの外出を見送ったあと、二度寝。お昼前に起きる。体調は回復。

昨日の研究会で某先生の批判の対象となった若年妊娠についての小論をウェブに上げておく。こういう作業(ftpを使ってやる作業)は久しぶりだな。

お昼すぎ、急いで私鉄とタクシーを乗り継いで某大学へ。某研究会二日目。報告一件と、合評会二件。

終了後、京都駅近辺のビアホールで懇親会。歓談。

一次会終了後に退散。地下鉄に乗り、残りは歩いて帰宅。途中でタコ焼き屋に寄る。最近、ビートルズをBGMにしている店が増えた気がするが、AppleMusicのせいだろうか。有線業界ってどうなってるんだろう。

上記の本については、質問したので、メモしておく。いろいろ考えることができておもしろい本だった。

  • 功利主義の説明について不正確なところがある。正と善の区別が不明確(19頁、49頁)。功利主義の配慮の対象となるのは人間だけではなく(76頁)、動物も含まれている。同様に、功利主義は「今、ここ」にいる現在世代だけを配慮の対象するとは限らず(82頁)、理論的には未来世代の幸福も配慮の対象となりうる。
  • 生命倫理関連の記述について不正確なところがある。安楽死は「古代ギリシアの「エウタナシア=よき死」に始まる」という表現があるが(62頁、147頁)、通常はこの語はトマス・モアによる造語と言われている(『ユートピア』)。ギリシア語であることは間違いないが、若干ミスリーディングかもしれない。再生医療において自己組織からの移植(自家移植)だけが論じられているが(68頁あたり)、実際にはiPSストックの話など他人のiPS細胞の利用(他家移植)が費用その他の考慮から現実的だと考えられている。積極的安楽死と消極的安楽死の定義の中に、それぞれ「すぐ死なせる」「ゆっくり死なせる」という説明が入っているが(146頁)、「すぐ」「ゆっくり」は本質的な内容ではないため不正確。
  • ダウン症などの障害への対応についての著者の下記の一節に異論がある。「私は無神論者だがあえて神の物語をたとえに使えば、神は二一・一八・一三トリソミーくらいなら時々は抱えて生きるのが人類への適度な教訓だと配剤なさったのである。これくらいなら時々はある、抱えて助け合って生きる、それが人類生命史の答えである。「減らす/無くす」でなく、少しはあるという前提で対応を紡ぎ出す方が人間らしいのではないか」(127頁)。しかし、これは悪の存在を正当化する神義論と同じ議論であり、同じ調子で、がんの存在、津波等の災害の存在を減らすべきでない、無くすべきでない、と論じることが可能である。われわれ日本人の二人に一人ががんを発症するのは、「人類生命史の答え」ではない。障害や病気を持つ者の社会的受容は重要であるが、望ましくないものの存在を、そのような形で正当化する発想は、それを減らしたり無くしたりする努力を妨げる可能性があり、危険である。
  • 功利主義・義務論・徳倫理という三つの規範理論を生命倫理環境倫理に「応用」する本書全体のアプローチ(序章・終章参照)は、「倫理理論を実践に適用(応用)する」という素朴な(サンデルによって復活した?)応用倫理理解に基いているように読めるため、筆者の応用倫理理解・方法論がどのようなものであるかを改めて問いたい。
  • 筆者の提唱する「生命圏の倫理学」について。「いのち」という言葉も何度も出てくるが(12章など)、農業や食料の問題なども扱っているにもかかわらず、動物を食べることの倫理性の問題が出てこない。「いのち」を重視すると述べているが、基本的には「人間の生命の尊重」が主題となっており、その点に無自覚に読めるところが気になる。

倫理学の話

倫理学の話

こちらはとくにコメントなし。勉強になりました。文献案内があったらもっとよかったかもと思います。