昨晩は早めに就寝。ほぼ定時起床。しばらく勉強。朝、ホテルのテイクアウェイの朝食をもらいにいったら、いろいろ不備があったようでしばらく待たされる。
午前中は娘と外プール。自分で日焼け止めを背中に塗ったつもりだったが、夕方に見るとまだらになっていて笑う。何年かに一度同じことをやっており、学ばない人間だ。娘は無事。
お昼はまたロッテリアで。午後はしばらく娘と某所で遊んだり本を読んだり。
夕方、温泉。
夜、ファミレスで夕食。少し浜辺を歩いてから戻ってくる。
夜中、少し読書など。寝るべし。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月18日
そこまで読んでいただきありがとうございます。良いポイントで、第10章で論じているのは、道徳規範には制裁がないという事実的主張に対して、法規範と類似した形でやはり制裁はあると事実的な主張をしているので、事実と価値を混同しているわけではありません。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
続きです。この点、私もかつてベンタムの『序説』を読んでいる時に悩んだ点でした。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
仰るとおりです。読み直してみますが、制裁は必要ないという主張に対して、そう言える十分な根拠はない、と述べたのではないかと思います。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
本文(十章1節)を確認しました。「さまざまな形で制裁を加えうるし」までが事実判断で、「またそのような制裁は、法規範において刑罰が必要であるように、道徳規範においても一般に必要なものと考えられる」(237頁)のところが価値判断ですね。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
前者から後者が導けないというのはその通りで、ここでは、法規範との類推で、道徳規範における制裁の必要性が主張されていると思います。ただ、ご指摘のように、もう少し論証を入れるなら、道徳規範にある程度の制裁が伴うことの社会的有用性を論じるべきだと思います。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
この章は全体的に舌足らずなところがあるので、もうちょっと考えてみたいと思います。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
How do you separate scientifically sound stem cell therapies from scams?
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年8月19日
インチキな幹細胞治療とそうでないものをどう見分けるか https://t.co/2s3iTHxsxM