主にオックスフォード哲学史の授業を聞いたり予習したりした際に記憶に残った点をメモ。ちょっとずつ更新する予定。
オックスフォード哲学の歴史メモ、オックスフォード哲学科の冠教授ポストも参照のこと。
総論
ライルが1900年生まれ、エア、バーリン、オースティン、ハートが1910年前後生まれ、女性哲学者四人衆とヘアが1920年前後生まれと、ほぼ10年ずつ世代が違っているので、その年代のずれを意識しておくとよさそうだ。
R.M.ヘアのこのエッセイ(1960)では、オックスフォードのチュートリアル制度の教育上の利点やいわゆる「言語哲学」が、ドイツの哲学との対比で論じられていて面白い。
Beyond the Fringeというモンティパイソンにも影響を与えたコメディグループが、Oxford Philosophyというスケッチをしている。このネタはジョンクリーズも後に演じている。
ギルバート・ライル
1900年生まれ。1949年の主著『心の概念』(The Concept of Mind)と、その中に出てくるカテゴリーミステイクで有名。ケンブリッジ哲学や、現象学やハイデガーなどの大陸哲学もよく研究していた。オックスフォード哲学科の基礎を作った人で、戦後に新しくできた大学の哲学科に次々と弟子たちを送り込んで植民地を作った(ヘアの自伝では「大学政治家」表現している)。庭いじりが好き。1976年没。
学部はクイーンズコレッジ。古典学を優秀な成績で卒業したため、新たなPPEも受講することになり、それも優秀な成績で卒業。その後、クライストチャーチでチューターをして、1945年にウェインフリート形而上学教授になる(それに伴い、モードレンコレッジのフェローになる)。1968年に引退。1947年から1971年まで『マインド』の編集長を務めた。PPEを最初に卒業しただけでなく、1946年にB.Phil(日本で言えば哲学修士)を創設し、オックスフォード哲学の興隆に大きく寄与した。
The Concept of Mind: 60th Anniversary Edition (English Edition)
- 作者: Gilbert Ryle
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2009/05/29
- メディア: Kindle版
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ライル文庫というのもあるのか。 https://t.co/KhFXU2owuI
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年6月2日
A・J・エア
1910年生まれ。ライルの助言でウィーンに行って論理実証主義を学び、20代の間に『言語・真理・論理』(1936年)を書いて形而上学を始め既存の哲学を破壊しセンセーションを起こした人。オールソウルズコレッジのフェローにはなれなかった。1989年没。
哲学科の廊下にあるエアの写真。
Language, Truth and Logic (Penguin Modern Classics) (English Edition)
- 作者: A.J. Ayer
- 出版社/メーカー: Penguin
- 発売日: 2001/04/26
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アイザイア・バーリン
1909年ラトヴィア生まれ。1917年にロシア革命を目の当たりにし、1919年から英国へ。超難関のオールソウルズコレッジのフェローになった(ユダヤ人初とのこと)。オースティンの友人で一緒に授業をしたりもした。オースティンに関する論文集でも巻頭の論文を書いている。1997年没。
Mary Warnockの自伝で、彼の講義や会話がいかに面白かったかが書いてある。
J・L・オースティン
1911年生まれ。ベイリオールコレッジではプリチャードの指導を受ける。バーリンと同様、オールソウルズコレッジのフェローになった。戦前はバーリンの部屋でエアらと勉強会をしていた(エアとはいつも論争になっていた)。第二次世界大戦中はかなり階級が高かった。戦後は有名な「土曜日午前中の研究会」を行っており、ハートやヘアも大きな影響を受けた(この研究会については、G.J.ウォーノックがEssays on J.L. Austinに寄稿している)。この研究会にライルは参加できなかったそうだ。生前はほとんど著作を書かず、1960年に早逝した後に弟子たちがまとめた著作が相次いで出版されることにより、オックスフォード以外でも影響力を振るった。
Plea for Excuses(1957)というのは「弁解の弁」として翻訳されているようだが、「言い訳の擁護」という感じだろうか。言葉遊びだと思うが、難しいな。(20191217の日記より)
オースティンの論文(Plea for Excuses)を読んだ。「言い訳」を言語哲学的に研究することが道徳的・法的な責任や自由の問題にアプローチする最善の方法であり、とりわけこれまで主語や動詞や形容詞に比べて注目を受けてこなかった副詞に注目することが重要だとした論文。途中で言語哲学(オースティンはこれだと言語だけに注目するような印象を与えるので「言語的現象学」と呼んだ方がよいと提案している)の方法論を説明しており、その部分が一番重要だろう(タイトルは「言語哲学の方法論序説」とでもした方がより多くの人に読まれただろう)。しかし、日常言語への過度の依拠と、言語哲学というよりは言語学的な分析は、今から見ると方法論的な欠陥が目立つように思われる。(20191218の日記より)
H・L・A・ハート
1907年生まれ。ニューコレッジ卒。オールソウルズのフェローは合格できず。弁護士になったあと、オックスフォードに戻ってきて法哲学教授になる。J・L・オースティンに大きな影響を受けたが、別のJ・オースティンやベンタムの法命令説を再発見したことでもしられている。主著は『法の概念』で、奥さんがバーリンと浮気していたことも有名。1997年没。
- 作者: H.L.A.ハート,Herbert Lionel Adolphus Hart,長谷部恭男
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/12/10
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エリザベス・アンスコム
1919年生まれ。オックスフォード女性哲学者四人衆の一人。戦時中にサマーヴィルコレッジでフットらと学び、ケンブリッジでウィトゲンシュタインの薫陶を受けた。サマーヴィルコレッジでフットとともに教鞭を振るった。戦後、トルーマン大統領がオックスフォードの名誉学位をもらうのに反対した。広島・長崎の原爆を落とした張本人であり、殺人者に名誉を与えてはならないと論じた(そのときのパンフレット(1956))。フットがサバティカルを取るときに代理で道徳哲学を教えることになり、勉強した結果、現在の道徳哲学がダメなことを知る。その話が1957年の「オックスフォードの道徳哲学は若者を堕落させているか」というラジオ番組になり、さらに1958年の「現代道徳哲学」につながった。2001年没。
アンスコムの首。
パークタウンのクレセント。このあたりにアンスコムやミジリーらが住んでいたはず。
アイリス・マードック
1919年生まれ。サマーヴィルコレッジで学び、英国共産党に傾倒。ナチス解放後のヨーロッパで難民キャンプで働いているときに実存主義にはまる。ケンブリッジで学んだあと、セントアンズコレッジのフェローになった。マードックとヘアはともに1919年生まれで同い年。1999年没。四人衆のうちで唯一映画化されている哲学者。
日本アイリスマードック学会というのもあるのか https://t.co/ijOXKUrtsD
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年6月2日
フィリッパ・フット
1920年生まれ。サマーヴィルコレッジで1歳上のアンスコムと仲良く研究していたようだ。2010年没。
Is goodness natural? | Aeonではフットとマードックの関係、第二次世界大戦の影響、エアやヘアの哲学との関係などが述べられている。フットとマードックは一時恋愛関係にあったようだ。
1958年の「道徳的議論」と「道徳的信念」でヘアの道徳哲学を批判(ウォーノックの自伝参照)。
マリー(メアリ)・ミジリー
1919年生まれ。四人衆の一人だが、サマーヴィルコレッジ卒業後は結婚してニューキャッスルに住んでいたので少し毛色が違う。つい最近亡くなった。ミジリーの自伝にオックスフォード時代の話が出てくる。2018年没
最近、この四人衆の研究が進んでいる。このサイトを参照。
マリー(メアリ)・ウォーノック
メアリ・ウォーノックもつい最近亡くなったが(2019年3月)、彼女は1924年生まれでアンスコムらより数年年下で上記の四人衆には数えいれられないアンスコムやフットとは、彼女らが戦後にフェローになったときに初めて会っており、どちらかと言えば師弟的な関係にあるようだ(アンスコムやマードックと同い年だったヘアも、従軍していたため、戦後に学部を卒業している)。
ウォーノックはオックスフォードのHomepage | Lady Margaret Hallコレッジ出身。自伝ではフットやアンスコム、マードックについて論じている章で、自分がオックスフォードで受けた教育(とくに第二次世界大戦終了直後)や、当時の状況について詳しく説明している。また、夫のG.J. Warnockとの結婚や、50年代以降のオックスフォードでの生活についても詳しく書かれている。また、HFEA設立につながった生殖医療のウォーノック報告書の執筆過程についても簡単にだが書かれている。この自伝は面白い。
自伝によれば、フットからは間接的にしか指導を受けなかったが(彼女の友人がフットのチュートリアルを受けており、フットのチュートリアルを受けるために友人と一緒にカントの純粋理性批判を読んでいたそうだ)、ウィトゲンシュタインに当時大きな影響を受けていたアンスコムからは指導を受けていたとのこと。ウィトゲンシュタインがジョウェットソサイエティでプリチャードとやりあった話がおもしろい(プリチャードはウィトゲンシュタインのデカルト評価に怒って途中で部屋から出て行き、一週間後に死んだそうだ)。
古典学者のEduard Fraenkelによるセクハラの話も自伝の中で出てくる。ウォーノックだけでなくアイリス・マードックも被害に遭っていたようだが、この二人に関してはあまり「被害」と意識していなかったという記述が印象的だ。Fraenkelについてはこの記事も見よ。ミジリーの自伝にもフランケルの話が出てくる。
Mary Warnock: A Memoir: People and Places
- 作者: Mary Warnock
- 出版社/メーカー: Duckbacks
- 発売日: 2001/05/01
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喫茶店でウォーノックの自伝。ウォーノックがウィトゲンシュタインとオースティンは考えが似てますねとアンスコム先生に言ったら、アンスコムが顔を真っ青にして「お前は何もわかっていない」と怒ったという話など。こわすぎる
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年6月12日
アンスコムはウォーノックがGJウォーノック(「あの糞ウォーノック」)と結婚したことも非難したそうだ。知り合いじゃなくて本当によかった
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年6月12日
ウォーノックのところを少し追加。自伝がおもしろい。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年6月10日
20世紀のオックスフォード哲学メモ - こだまの世界 https://t.co/GXr5HOEw8M
R・M・ヘア
1919年生まれ。10歳の時に父を、15歳のときに母を亡くしている。ラグビー校出身。この時期のオックスフォードの哲学者はほとんどみなが戦争体験をしているが、ヘアはオックスフォード大学(ベイリオールコレッジ)を卒業前に一兵士となって従軍し、シンガポールで日本軍に捕まって捕虜としてビルマで線路を作らされたりして大変な思いをする。戦後、復学して卒業しベイリオールのフェローとなる。T.H.グリーン道徳哲学賞を受けたエッセイをもとに1951年に『道徳の言語』を書いて一時代を築くことに。『自由と理性』1963、『道徳的に考える』1981。アンスコムやフットとも仲良く喧嘩した。2002年没。
2002年のUtilitasに“A Philosophical Autobiography”という自伝が掲載されている。この自伝では家系の話、第二次世界大戦で日本軍と戦った話、戦後オックスフォードに戻ってきてからベイリオールのフェローになり、次いでホワイト道徳哲学教授(コーパスクリスティコレッジ)になった話、自分の道徳哲学の立場などが述べられている。哲学史は勉強しなかったので知らないと正直に書いてある。また、フットは二回言及されているが、アンスコムは基本的に無視されている。戦前にはプリチャードの授業に出たが理解できなかったと述べ、戦後はペイトンやライルに教わったりオースティンの土曜朝の研究会に出たりしたと述べているが、それほど高い評価をしていない。ウィリアムズも賢い学生だったと一言だけ。シンガーに至っては言及されていない。
2002年の同じUtilitasでは、息子のJohn Hare(哲学者)とピーター・シンガーの追悼文(オックスフォードのユニヴァーシティチャーチでの送別会で読んだもの)も掲載されている。息子のスピーチでは、ヘアが日本人に対して悪口を言ったことはなかったという話や、ヘアが神については有意味な言明をできないと考えつつも敬虔なクリスチャンだったという記述がある。シンガーのスピーチでは、シンガーがオックスフォードで学んだ時以来世話になっていた話のほか、ヘアの三大業績は、道徳に合理性を持ち込んだこと、道徳的思考を二つのレベルに分けたこと(ジョシュア・グリーンらの研究にも言及している)、応用倫理を早くに開始したことだと述べている。
ウォーノックの回想録ではヘアと実存主義のつながり(両者とも道徳を自然主義や本質主義的には考えない)が指摘されているが、アイリスマードックは両者のつながりを見て取っていなかったようだ。
The Language of Morals (Oxford Paperbacks) (English Edition)
- 作者: R. M. Hare
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- 作者: R. M. Hare
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Moral Thinking: It's Levels, Methods and Point
- 作者: R. M. Hare
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レディングにあるフォーベリー公園のライオン像。19世紀のアフガン戦争で死んだ兵士らの記念碑のようだ。自伝によれば、ヘアの先祖が作った像とのこと。
あれ、この書評を読んでいて気付いたが、
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年12月14日
Witcraft by Jonathan Rée and The History of Philosophy by AC Grayling review https://t.co/0oLe0YSDIb
Terry EagletonがThe Meaning of Lifeの中で、「RyleがNothing mattersとNothing chattersの区別をして自殺したい学生を思い留まらせた」という逸話を紹介しているが(第1章)、それはHareの間違いだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年12月14日
とはいえ、nothing mattersというときはnothing chattersという場合と違って、matterは(主語の)行為ではない、という論点は、かなりRyle的な発想だ
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年12月14日
ブライアン・マギー
1930年生まれの彼は、戦後すぐにオックスフォードで学生をしている。恋愛の話なども赤裸々に書いていておもしろい。
当時のケンブリッジ哲学
オックスフォードと比べて人数が圧倒的に少ないことが特徴(ヘアの自伝ではすごい連中が集まっているときもあれば、あまり何も起きていないときもあると述べられている)。
ムーア(1873-1958)とラッセル(1872-1970)
スーザン・ステビング(1885-1943)
ウィトゲンシュタイン(1889-1951)
その他、関連するツイート
Collingwood and the Contintental – Analytic Divide https://t.co/2lokyGjOpy
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年9月6日
コリングウッドの死と大陸哲学
1600年ごろのオックスフォード。小さいな https://t.co/RIxtTNoXBe
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年9月1日
1970年代にロジックレーンというオックスフォード哲学のドキュメンタリーがBBCであったそうだ https://t.co/0yhsxJ7fo5
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年5月26日
女子入学は1920からかhttps://t.co/D0fmXDLjOV
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年10月9日
New visitor centre in Christ Church Meadow in Oxford is almost ready to open | The Oxford Times
— 児玉聡 (@s_kodama) 2019年7月4日
クライストチャーチの新しいビジターセンターが9月にできるそうだ。今も年間40万人がお金を払って入場しているとのこと。京大もやるべきでは。。。 https://t.co/onjraDhhYb
クイーンズコレッジにようやく入ったどうも東側3階がベンタムがいたところのようだ。
クイーンズレーンカフェ。名称が変わっているが、ベンタムがプリーストリーのパンフレットを読んで功利主義者になったところとされる。