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オックスフォード哲学の歴史メモ

オックスフォード大学哲学科のサイトから。エアやバーリンぐらいまでの歴史しかないので、そのあとは自分でまとめる必要がありそうだ。


中世スコラ哲学:パリ大学とライバルの時期。ロバート・グロステスト、ドゥンス・スコトゥス、トマス・ブラッドワーディン、ウィリアム・オッカム、ジョン・ウィクリフなどがオックスフォードで教えた(もちろんラテン語で)。授業の内容はアリストテレスと聖書を読んで議論することと、神学問答の訓練。

1621年にホワイト道徳哲学教授ポストが設立されたが、17世紀の哲学シーンにおいては低調。例外はロック。彼は1652年にクライストチャーチに入学、1656年に卒業、1660年に修士号。四年間だけ学部で教えて、そのあとは1684年までフェローとして同コレッジに在籍。『人間知性論』や『統治二論』(1690)はいずれもオクスフォードを去ってからだが、オックスフォードにいた自然科学者のロバートボイルの影響などが色濃くみられる。

この時期にはプラトン主義者のジョン・ノリスもいたが(エクセターコレッジで勉強し、オールソウルズのフェローだった)、ロックと同様、主著を公刊したのはオックスフォードを離れてから。

17世紀、18世紀、19世紀の後半になるまで、哲学は古典学の一部として主に牧師Clergymanによって教えられていた。全ての学生は論理学、形而上学、道徳哲学を勉強したが、「哲学」という学問領域はまだなかった。

1859年に論理学の教授職(ウィカム・チェア)、道徳・形而上学哲学教授(ウェインフリート・チェア)が作られ、それぞれのコレッジでチューターがすべての分野(歴史、進学、文学、哲学等)を教えるのではなく、スコットランドやドイツのように、ユニバーシティで教育するという改革の方向が出てきた。ただ、実際にこの改革が実効性を持つようになったのは1870年代以降のこと。

哲学の専門化。英国観念論の創始者であるトマス・ヒル・グリーンはバリオールのフェローで、1878年にホワイト道徳哲学教授になった、最初の(牧師ではない)哲学専門の教員。1880年ごろから30年間に渡って英国社会に大きな影響力を振るった。

グリーンと同時代のF.H.ブラッドリーはマートンでフェローをしており、教育の義務がなくオックスフォード周辺でもほとんど見かけなかった。そのため英国観念論の中心はバリオールコレッジで、グリーンのあとにはエドワード・ケアードがバリオールコレッジ長(Master)になった。

20世紀初頭はラッセルやムーアやウィトゲンシュタインケンブリッジで活躍したため、オックスフォード哲学は低調。ただし、1913年に哲学が古典学科(Literae Humaniores)の一領域として独立の学問として認められたり、1920年には哲学・政治学・経済学(PPE)を組み合わせたModern Greatsコースが始まったりして改革が行われた。*1

戦後はオックスフォード哲学の再興。ギルバートライルが1945年にウェインフリート教授に選出され、大学の哲学のレベルを上げた。PPEが人気になり、おかげで哲学教員の数が増えた。古代哲学の伝統も続いているが、現代哲学の流れが強くなった。ライルは一つの問題に3年間を費やすD.Phil (1917年開始)は大学の哲学教員のキャリアの準備としては不十分だと考え、何本かの論文と短めの学位論文を書くB.Philを1946年から始めた。これが大成功で、戦後英国にできた新しい大学群の哲学科のポストを埋めるのに役立った。

ライルは1947年から1972年までマインドの編集を行い、1949年にThe Concept of Mindを出すなどして、英国で影響力を振るった。言語とその誤用に着目した彼のアプローチはJ.L.オースティンに引き継がれ(1952年にホワイト哲学教授)、一時大流行した日常言語哲学が確立した。オースティンの土曜日午前の講義(Saturday morning sessions)は人気だった。

他に有名な哲学者はA.J.エアとアイザイア・バーリン。エアはクライストチャーチを卒業後UCLで教えていたが、1959年にオックスフォードに戻り、ウィカム哲学教授になった。彼の大学院向けのセミナーはオックスフォードで不可欠のものとなった。バーリンはウォルフソンコレッジの初代の校長になった。

PPEから始まった哲学の多様化のプロセスは続き、新たな学位が次々と作られた。哲学・心理学・生理学(1949)、哲学・数学(1970)、哲学・物理学(1971)、哲学・神学(1972)、哲学・現代言語学(1975)。1963年に初めて哲学科の恒久的な建物が12 Merton Streetに出来た(司書兼事務員1名)。1975年に10 Merton Streetに引っ越しし、2012年には哲学科がWoodstock RoadのRadcliffe Humanities棟に引っ越しした。

2001年にようやく哲学科が古典学科から独立して一つの学科になった。

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オックスフォード哲学科の建物

 

*1:PPEについては少し長いがガーディアンの記事が参考になる。多くの政治家を輩出していることがわかる。