え、こだまの世界?

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政治哲学と道徳哲学における功利主義

以下の本からメモ。この本は入門書としては難しすぎるが、功利主義を少し勉強した人がさらに勉強するにはとても役に立つ。

Understanding Utilitarianism (Understanding Movements in Modern Thought)

Understanding Utilitarianism (Understanding Movements in Modern Thought)

今日の道徳哲学においては、(グッディンのような)制度的功利主義は、かりに言及された場合でも、通常は規則功利主義の下位トピックとして扱われる。これは、哲学的あるいは功利主義的な理由によるのではなく、むしろそれは、大学での行政区分を反映している。規則功利主義は*道徳哲学*であり、哲学科で教えられている。一方、制度的功利主義は*政治哲学*であり、しばしば政治学科、政府学科(government)、経済学科、法学科で教えられている。政治哲学においては、功利主義ロールズノージックの攻撃によって、大部分、人気を失った(…)。さらに、今日の政治哲学の支配的な潮流においては、政治哲学は道徳哲学と大部分独立しているものとみなされる。政治哲学は、現代の自由主義社会においては人々が議論の多い道徳的問いに同意できないという事実があるにもかかわらず市民が一緒に暮らす方法を見つけなければならないという、まさにこの理由から生じる問題を扱っている。このことにより、功利主義は直ちに不利な立場におかれる。というのは、功利主義は道徳哲学と政治哲学に明確な断絶を見出すことを拒否するからである。(p. 128)

政治哲学と倫理学(道徳哲学)で功利主義に対する温度差があることは、最近どこかに書いた気がするが、思い出せない。簡単に言えば、政治哲学ではサンデルやキムリッカのように、功利主義ロールズノージック→セン、サンデル等々という、理論の直線的な発展(ウィグ史観?)が語られる場合が多いのに対して、倫理学では功利主義と義務論(と徳倫理)が三つ巴になって争っているという図式が主流になっている。この差異がどこから来るのかについては、研究が必要。