どんどん読まないといけない。
- 作者: 音無通宏
- 出版社/メーカー: 中央大学出版部
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
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第1章「功利主義の正義論」
こないだ読んだので、とりあえず省略。
第2章「ベンサム功利主義の構造と初期経済思想の展開」
本章では、ベンサムの初期経済思想のひとつの集約点ともいうべき『政治経済学便覧(Manual of Political Economy)』(1793-1795年)に焦点をあて、彼の初期経済思想の構造と特質を解明することを試みることにしたい。、、、本章では、、、ベンサムの初期経済思想とともに、政策論をもふくめて彼の経済思想全般の解明への道筋をつけると同時に、彼の功利主義思想そのものについても、従来の解釈を大きく変更することを意図されている。(99)
「従来の解釈」とは、功利主義が少数者(の権利)を犠牲にするという「少数者犠牲説」を採っているという解釈(100)。ヘアはこの問題に二層理論で一定の解決を与えたという。
彼は人間の認識レヴェルを直感レヴェルと批判レヴェルの二層に区分し、前者は事実問題にかかわり、後者は価値判断にかかわるものとした。そして、功利主義がかかわるのは後者のレヴェルであり、その際、行為の当事者はそれぞれ相手の立場に自己をおきかえる(「相手の立場にたつ」)ことによって、利害を普遍化し、そのうえでどの行為が全体としてより大きな幸福に寄与するか、したがってどの行為を選択すべきかを判断する。(100-1)
ん、この「前者は事実問題にかかわり、後者は価値判断にかかわるものとした」は、どういう意味かよく分からないが、どこかに典拠があるんだろうか。
しかし、ヘアの場合も、功利主義の理解そのものは、やはり依然として一元的な直接的功利主義理解を克服するものではなかったといわざるをえない。もしヘアの功利主義理解が従来の解釈に変更を迫るものであったとすれば、上記の人びと(ロールズ、ノージック)をはじめ、少なからぬ人びとが当然それに十分考慮を払ったはずである。しかし、事実、例えばヘアの理論が提起されてから28年を経過したのち、初版以来のさまざまな批判を考慮して出版された『正義論』改訂版(1999年)においても、「二層理論」への言及はいっさいなされていない。近代哲学史にもつうじたロールズにとって、ヘアの理論がそれまでの功利主義解釈を変更するものであったとすれば、当然それにも何らかの言及がなされたと思われる。(102)
ad rawlsiamとでも呼べそうな論法だな。「ロールズが取り上げていないならば、考慮に値する議論ではない」。
しかし、ヘアの評価についてはそのうち真面目に調べてみよう。
問題は明らかである。功利主義を批判する側も擁護する側も、功利主義そのものの解釈としては、いずれも常識化した一元的な功利主義理解、つまり「最大多数の最大幸福」(ないし「最大幸福」)原理のみからする直接的功利主義理解であったということができる。そうした一元的な直接的功利主義理解にたてば、権利論の立場からする批判=少数者犠牲説も一定の正当性をもちえよう。(102)
直接功利主義が問題だ、と。一つ目の論文も、行為功利主義的解釈が問題になっている(18)としている。
従来「最大多数の最大幸福」(ないし「最大幸福」)原理のみからする一元的な功利主義理解が支配し、そうした理解そのものについての反省がなされてこなかったのは、ベンサムの場合『道徳および立法の諸原理序説』のみから彼の功利主義について理解されてきたことにくわえ、功利主義研究そのものが主として倫理学や法思想および政治哲学の分野でなされ、それらの研究に経済学研究の視点が十分反映されてこなかったことが大きな理由のひとつをなしてきたように思われる。(103)
う〜ん。規則か行為かという話は、倫理学でも半世紀前から行われている気がするが、、、経済学研究に特有な視点ってなんだろうか。あ、経済学草稿を読めば新しい解釈が出てくるということかな。
次に、民法典の安全、生存、豊富、平等という二次目的の話が検討され、次のように述べられる。
したがって、統治の目的は、これらの権利と義務の確立と配分をつうじて社会の最大多数の最大幸福を目指すことであって、自ら直接それを実現することではない。、、、立法ないし立法者のなすべきことは、諸個人に配分される権利を確定し、それを尊重する義務を課すことによって、侵害を防止することである。前者が民法部門に属し、後者が刑法部門に属することはいうまでもないだろう。(106)
したがって、ベンサムの功利主義は、「最大多数の最大幸福」原理のみからではなく、これらの二次的諸目的にそくしてより具体的に理解されるべきものである。「最大幸福」原理は、むしろこれら二次的諸目的間に対立が生じた場合、それらの対立を調整し決済する原理にすぎない。その意味で、それは下位諸目的との関連抜きに主張される場合、抽象的原理にすぎない。諸個人の日常的な行為は下位諸目的に関連づけて理解されるべきものであって、直接「最大幸福」原理によって判断されるわけではないことに注意しなければならない。先のような常識化した功利主義理解は、この点の無理解に起因しているといってよい。諸目的間に対立や衝突が生じた場合、それらのあいだに優先順位を決定し、それらの対立や衝突を決済し調整する究極基準としての役割をはたすものこそ、「最大幸福」原理にほかならないのである。ベンサム(およびミル)の功利主義思想は、何よりもまずそうした構造をもつものとして理解されるべきであり、その点についての理解が欠落してきたところに、従来の功利主義解釈に共通する欠陥があったといってよい。そして、そうした従来の功利主義解釈を大きく訂正するものこそ、ベンサムにおける民法関連草稿にほかならない。(108)
間接功利主義的理解、でいいのかな。たしかにこうすれば功利主義は洗練される。しかし、これで万々歳なんだろうか。
このあとは、ケリー(1990)に依拠した、安全、生存、豊富、平等の説明。
ともあれ、以上の考察から、少なくともベンサム功利主義は、権利論と正義論を根底にもっており、、、平等な生存権と諸個人の多様な相違や権利の尊重を基礎としていること、その意味で「最大多数の最大幸福」の名のもとに少数者の生命までも犠牲にすることを正当化するものとする解釈とは正反対であることが理解されるであろう。(122)
「功利主義もリベラルだ」という主張。自分もD論で同じことを書いていた気がするので何なのだが、これだけだと今一つ主張としてつまらないよな。「功利主義者も(一応)人間だ」と言っているようなものだ。功利主義でも他のリベラルな理論と同じ結論が言えますと言うだけではつまらない。さらに進んで、「功利主義じゃなきゃ、個人の自由を一定程度制約する公衆衛生活動を基礎づけられない」とか言うといいのかな。
そのあとはかなり長い紙幅を割いて『政治経済学便覧』の解説。
第3章「功利主義と植民地」
某氏の論文。最初にベンタムの植民地論に関する先行研究を(両義説、転換説、一貫説)わかりやすくまとめていてよい。
本章ではこれら先行研究を踏まえつつ、ベンサムが提出する植民地論に関連する経済学的な原理の変容をも視野に入れて検討する。(179)
あれ、この一文がなかなか頭に入ってこないと思ったら、「検討する」の目的語(〜を)がないのか。こういう書き方もするのかな。
この論文は、先行研究でもめている問題「ベンタムは植民地容認と植民地批判の両面があるが、それはどうやって調停できるのか」について、ベンタムの経済・政治思想の変遷や社会情勢の変化を丁寧に追いながら、ベンタムの思想の一貫性を主張している(たぶん)。非常に勉強になる。ただ、論文としてはよくできているが、たしかに「社会改革」という本書全体のテーマとのかかわりが見えにくいかもしれない。
第4章「ジェイムズ・ミルの統治思想」
本章の目的は「共感」「道徳的制裁」「世論」という概念に照準を合わせて、J.ミルが統治機構改革を訴えた根拠を浮き彫りにすることである。(197)
そこ[先行研究]ではミルにおける道徳論と政治論との関係、換言すれば、なぜ統治者の徳性だけでは善政を実現しえないのか、なぜ政治改革が必要なのか、という論点があまり掘り下げられていないように思われる。筆者はこの問題の究明に取り組みたい。(198)
四つ目の論文。まず、共感について。
こうしてミルは、「共感」の主要な作用範囲が自己の集団内部にとどまること、また「共感」感情の強度は人間の外的環境次第で変化することを指摘し、人間の普遍的な行動原理を「利害関係」に求めたのである。(202)
インタレストは、動機の一種という意味では、「利害関係」よりは「利害関心」とした方がわかりやすいかな。
道徳的制裁については、支配者層と被支配者層が対等な関係にない社会においては、支配者層には大して効力がないとされる(202-5)。
最後に世論。
ミルによれば、当時の政界で被治者の意向を一定程度反映しえたのは、公衆の評判=「世論」に敏感な内閣の政策運営のためであって、下院の行政監督機能が適切に発揮されたからではない。だが、内閣の行政だけでは善政を完全に実現しえないであろう。というのも、被治者の利益を究極的に左右しうる立法権は下院が握っているからである。そこで、「世論」の声を下院に投影させるような経路を確立し、下院と内閣がともに被治者の利益を追求しうる制度的仕組みの確立が急務となる。その実現手段が議会改革であった。(208)
また、邪悪な利害関心を持つ貴族階級による「世論誘導」も存在するため、どうしても急進的改革(秘密投票、選挙権拡張、議員任期短縮)と出版の自由が必要になる。(210-213)
ミルの議論も、それをまとめている本論文の議論も非常にクリアで、文献も詳しく調べられており、大変勉強になった。ベンタム研究者としては、ベンタムとの影響関係が気になるところ。