え、こだまの世界?

A day in the life of...?

某学会二日目、某シンポ司会など

ほぼ定時起床。午前中はホテルの部屋で朝食をとりながら午後の某シンポの準備。

お昼にチェックアウトして、急いで某大学へ。今日もなかなか辿り着けず。

お昼すぎから「功利主義と人間の尊厳」シンポ。某氏と司会を務める。質疑応答の最初に、下記の質問を提題者お三方にした。ストレートな質問が多かったので、オブラートに包む意味でこのような体裁を取った。人間の尊厳について真面目に考えるよい機会になった。

小畑さんへ

ケーニヒスベルク大学のイマニュエル・カントと申します。残念ながらイギリス哲学会は非会員です。ご報告を興味深く拝聴しました。三つご質問があります。

第一に、小畑さんのご報告では、人間の尊厳を軽視しているという功利主義批判は誤解だと主張されていますが、ベンサムの快楽説的人間観では、人間は動物と連続的になり、人間に特有の尊厳というものはないことになりませんか。私の考えでは、自己立法により道徳法則に従うことができるという人間性こそが、人間の尊厳を形作るものです。詳しくは拙著『道徳の形而上学の基礎付け』をご覧ください。そうだとすれば、小畑さんのお考えでは結局のところ、どのような意味で「人間の尊厳を軽視している」という批判は誤解なのでしょうか。

第二に、結論部で私の著作を引用していただきありがとうございます。同性愛行為は自らの尊厳を奪い、動物以下にまで貶めるものであるという私の主張を否定なさっておりますが、仮にそれが間違っていたとすると、人間には人間に特有の尊厳など存在しないから同性愛行為は問題ないということでしょうか、あるいは私の尊厳理解が間違っており、人間に人間に特有な尊厳はあるが、それは同性愛行為を排除しないということでしょうか。小畑さんあるいは功利主義の人間の尊厳理解を明確にしていただければと思います。

最後に、人を単なる手段としてのみ扱うことについてどうお考えですか。トロッコ問題はともかく、人の尊厳を侵害するような拷問が正当化する場合はありうるとお考えでしょうか。私は控えめに言っても定言命法に反していると思うのですが。

以上、お答えよろしくお願いいたします。

イマニュエル・カントより

山本さんへ

ジェレミー・ベンタムです。UCLにおりますが、実は無所属です。私の弟子のジョンスチュアートミルの主張を手際よくおまとめいただきありがとうございます。三つご質問があります。

なるほど、ジョンは私と同様の快楽説を取りながら、私が尊厳の感覚を重視していないという批判を、私の死後に展開していたわけですね。私の反論はこうです。私も尊厳の感覚を観念連合説によって説明することは可能だと思います。ミルはこのような感覚をもつことが個人の幸福にとって重要だと考えているようですが、私はこのような感覚をもつのが重要だというのには賛成しません。

小畑さんが先ほど私の膨大な著作から要約してくれた通り、尊厳の感覚というのを陶冶することは可能でしょう。しかし、それを通じて、ミルのいうような「満足した豚よりも不満足なソクラテスの方がまし」と考えられるようになることは、たとえば同性愛行為は人間の尊厳に反するといった主張や、人間と動物の峻別という発想につながる危険性があります。

そもそも尊厳とか良心とか実体のないものをあたかも存在するかのように話すことは私が道徳感覚批判において強く批判したものであり、間違った理論を功利主義に取り込むことになります。

私のこの批判にミルが答えるためには、尊厳の感覚を持つことがなぜ幸福に役立つのかを明示する必要があるでしょう。山本さんはどうお考えですか。これが一つめの質問です。

もう一つ質問すると、ミルはカントや、現代の国連憲章やドイツ憲法で謳われている「人権の基礎としての普遍的な人間の尊厳」にコミットしているかどうかはっきりせず、人によってあったりなかったり、陶冶できたり堕落したりする感覚としてのみ理解しているようにも見えます。ミルはカントと同じような意味で普遍的な人間の尊厳を考えていたのでしょうか。

最後に、トロッコ問題で一人を殺したり、拷問したりすることは人間の尊厳に反するという主張について、ミルの立場からはどう考えますか。私はとくに問題ないと考えています。

ジェレミー・ベンタムより
追記。お父さんによろしくお伝えください。

中井さんへ

ハーバード大学のジョン・ロールズです。拙著を引用していただきありがとうございます。

ご報告では、功利主義が人間の尊厳を踏みにじる場合があると率直に認めながらも、功利主義的思考を色濃く受け継いだ経済学の発展により経済成長が可能となり、それを通じて人間の尊厳の基盤が保証されたと言えると主張されていたかと思います。

私の質問はこうです。拙著を何度か引用していただいておりましたが、究極的には、中井さんのご報告は、多くの人の尊厳を守るためには経済成長が必要であり、一部の人の尊厳を犠牲にしてよいと述べているようにも聞こえます。しかし、もはや多くの先進国では経済成長は不要であり、むしろ直接的に各人の人間の尊厳を尊重する理論が必要なのではないでしょうか。

また、仮に経済成長が必要だとしても、ときに人間の尊厳を踏みにじるような功利主義に裏付けられた経済思想以外の理論を作る努力が必要なのではないのでしょうか。踏み絵を踏ませて申し訳ありませんが、要するに、中井さんは私ロールズの味方なのか、功利主義者の味方なのかということです。

なお、近年GDPではなくGHPという、これまた功利主義的な経済指標が提案されていますが、これも私に言わせれば人格の別個性を軽視した考え方のように思われますが中井さんはどのようにお考えでしょうか。

ジョン・ロールズより

夕方、急いで帰路に着く。夜に帰洛。夕食。

夜中、風呂。明日は東京出張の予定だったが、疲れて風邪気味なので静養することにした。