え、こだまの世界?

A day in the life of...?

ひさしぶりに続きを読む

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

第三章「忠誠と反逆」から。

「戦争責任」の追及

敗戦の責任は誰にあるのか。東久邇稔彦首相の「一億総懺悔」発言とそれに対する反発。「そこでは誰にも責任があるということによって一部の者の重大且つ直接的な責任がごまかされてしまう」(106頁)。「傍観者」の非難(107頁)。

多くの人びとが肉親や友人を失い、家屋や財産を失った敗戦直後においては、まず「国民」の被害が注目され、その被害をもたらした為政者の責任が問われたのは、無理からぬことであった。そうしたなかでは、為政者と一般国民を一括して「日本人」とみなし、その「日本人」が外部に与えた責任を問うという論調は、多いとはいえなかった。そうした声が一定以上のレベルにまで達するのは、高度経済成長と戦争を知らない世代の台頭によって、戦争被害の記憶が風化した1960年代以降のこととなる。(107-8頁)

なるほど、国外から見れば、一括して戦争は「日本人の責任」と言いたくなるが、終戦直後の国内では誰が責任を負うべきかという議論があったわけか。日本だとドイツのように、まず「ヒトラーのせい」と言いにくいんだろうな。

ある少年兵の天皇

海軍少年兵だった渡辺清の日記から。戦時中、「生きて虜囚の辱を受けず」という戦陣訓を固く信じていた渡辺は、天皇終戦後に責任を取って自殺しないどころか、敵軍の将であるマッカーサーと一緒に写真を撮っている姿を見て、激怒する(108-111頁)。さらに、天皇が1946年元旦に「人間宣言」を出すだけで、責任を取ろうとしないので、次のように嘆く。

「おそろしいのは、これが国民に与える心理的な影響だろう。わけても天皇のあり方は、「天皇さえ責任者としての責任をとらずにすまされるのだから、われわれは何をやっても責任なんてとる必要はない」というようなおそるべき道義のすたれをもたらすのではないか。・・・おれにはそんな予感がしてならない」(引用、113頁)

この日記の作者、真剣かつ誠実かつ率直で興味深い。次の一節はジョン・レノンの"God"のようだ。

・・・渡辺の、ナショナリズムに対する姿勢は複雑だった。敗戦後の天皇や[手のひらを返したかのようにアメリカ賛美をする]マスコミのありように反発し、「天皇がなんだ 日本がなんだ 愛国心がなんだ 民主主義がなんだ 文化国家がなんだ ふん、そんなものはみんなくそくらえだ」と彼は思った。しかし一方で、便乗的な知識人が安易に戦争を批判すると、「それでは国難に殉じた人たちの愛国心はどうなるのだ」と感じた。(117頁)

他の人々が責任を取らないのに腹を立てる一方で、戦争で自分だけ生き残った罪悪感もあるし、自分の戦争に参加したという罪の意識もあるしで、複雑なわけだ。結局、渡辺は自分が二度と戦争に加担しないという誓いを立て、国家や天皇を超えた「日本」に対する愛国心を持つことで、自分なりの解決を見出す。

天皇退位論の台頭

天皇の「無倫理性」(引用、118頁)に対する同じような感情が、元兵士だけでなく、知識人や一般市民にも少なからず共有されていた。

江藤淳の回想によると、彼の祖母は敗戦の日の放送を聞いて、「お国をこんなにして、大勢人を死なせて、陛下は明治さま[明治天皇]になんと申訳をなさる」と「吐き捨てるようにいった」という。(120頁)

そして、司馬遼太郎丸山真男も、「昭和の日本」を批判するために「明治の日本」に回帰していく。「こおkでの「明治」は、敗戦をもたらした「昭和」の国家を批判しながら、ナショナル・アイデンティティを保つための拠り所だったといえる」(120頁)。なるほどねえ。

天皇はたとえ軍閥の「ロボット」だったとしても、責任をとって退位することで国民に範を垂れないと、「世に道理は廃れる」(三好達治)ことになる、という論調が盛んだった(120-121頁)。しかも、これは愛国心から発するものであった。

こうした敗戦直後の天皇への戦争責任追及は、ナショナリズムの否定ではなく、新たなナショナル・アイデンティティの模索として出現したものだった。(122頁)

共産党の「愛国」

終戦後の共産党による天皇批判は、共産党員こそが愛国心を持った真の国民であるという論調で行なわれた(122-123頁)。講座派の二段階革命論(明治維新以後の日本はまだ市民革命を経ていない絶対王政だから、市民革命と社会主義革命の二度の革命が必要、124-5頁)。丸山の「超国家主義」(=絶対王政)と「国民主義」(=市民革命後の国民国家)という対比も講座派の影響。

明治維新以来の「忠君愛国」から「忠君」を廃して、真の「愛国」へ(126-7頁)。「忠君は封建時代の君主と家臣との間の道徳であり、愛国とは、近代的国民国家における国民意識の表現である。両者は氷と炭のように相容れない」(淡徳三郎、126頁)。