え、こだまの世界?

Every day is like survival

さらに抜き書き(哲学研究のあり方など)

少し遅めに起床。食器の片付け、また故障したコード式のシェードの修理。

シャワー、シリアル、朝刊。

今日は少しおみやげを買わないといけない。

 

午前中、某翻訳チェックとスイッチなど。クワインの自伝って翻訳がないのか。ここにも分析哲学研究者の特徴が表れている気が…

 

午前中、しばらくマンガを読んでしまう。いかん。

お昼すぎ、遅めの昼食。蕎麦、納豆など。

それから自転車で大学へ。途中、某所で八つ橋などをおみやげ用に購入。

勉強しよう。

 

某著作集の第12巻は「哲学史」が主題で、いろいろ勉強になる。とくに「哲学史記述におけるデカルト像の変遷」と「敗戦後の日本哲学史」が重要だ。

いわゆる哲学史を廃止して、基本となる観念の総覧を作った方が実際的である。その総覧には、古今東西の観念が登録されるので、西洋だけにする必要は無い。哲学の働く場所は、古今東西、時代はひとつ、地域もひとつである。専門家の間で協議して、当面不要な学説は登録して書庫にしまい込んで、必要な情報をひとりの人が読みこなせる分量にまで縮小しなくてはならない。
哲学のあらゆる情報を、一般の人々に公開される本当の哲学と、専門家の間の舞台裏の討論資料に分けなければいけない。

加藤尚武著作集第12巻著者解題511頁

要するに、『現代用語の基礎知識○○年版』の哲学版を作るということですね。「哲学の基礎知識2024年」みたいな。ページ数は限定しておいて、毎年ちょっとずつ内容を入れ替える、というような。」

「どこかの出版社がやってくれんかな」

 

夕方、しばらく一服。マンガはいつまでも読み続けられるが哲学書は読み続けられない。

感覚の根源的なあり方については、現象学者が専門家で、モチはモチ屋だから、さすがに優れた見解を持っていると、一目置く人がいるが、本当は、感覚について何よりもダメなのが現象学である。

(中略)

現象学者と一緒に温泉に行くと、彼らは「目の前に風呂桶がある」と言う代わりに、「意識に世界が現前している」と言う。「湯加減が良い」も、「木の香りがする」も、全部「意識に世界が現前している」という水準で捉える。 すなわち、感覚の種類と感覚を表現する言語の段階を全く度外視して、「意識の現前」に根源的な場があると主張する。彼らの言う「意識」なるものは、じつはたいていの場合には、視覚のことなのだが、ときどき論述の都合に合わせて触覚にすりかえる。

 

加藤尚武著作集第13巻『形の哲学--見ることの概念史』(著作集164頁)

この現象学批判から日本現象学会で報告することになり、「現象学批判」が書かれたようだ。「 日本の現象学者で私の親しい友人でない人はいない。私の「現象学批判」にもかかわらず、個人的には親しい間柄が継続することを私は願っていたが、それは必ずしもかなえられなかった」(同上195頁)。似たような現象学批判は第12巻にも少しある。なお、『形の哲学』は、基本的に認識論を扱っているが、あやめとかきつばたという双子姉妹と「私」の関係を軸に話が進む小説仕立てになっている。ちょうどヨースタイン・ゴルデルが『ソフィーの世界』をノルウェー語で書いたのと同じ1991年に公刊されている。

 

哲学史を教えるのをやめたら、哲学教師は何を教えるか。以前だと「哲学概論」を教えるという答えがあった。ところが、科学哲学、論理学の哲学、数理哲学、生物学認識論というような現代でもっともホットな領域は、とても「概論」にまとめて学生に教えるという状況ではない。日本の哲学者はほとんど英米の先端的な論文を消化していない。哲学を文系に位置づけてきた日本の文化政策が、英米系にたいして決定的に遅れを取るという事態になっている。

 

加藤尚武著作集第13巻「明治期日本におけるドイツ哲学の選択」418頁

何かすみません、というしかないな…

 

論理学者の藤村龍雄氏が、碧海純一先生のことを回想して「あの頃は日本語の文献などは引用できなかった」とおっしゃったので、私はその意味がよくわかったが、聞き手のなかには「どういうことですか」と質問する若い人もいて、理解の世代間断絶が感じられた。

すべて外国語の論文だけを引用して、外国で行われている論争の場を再現しつつ、自分の論点を提示するというスタイルが「要求」されていた。それを私は植民地主義の文体と言う。本国(宗主国)で行われているのと同じスタイルで(ただし、表面的には日本語で)書くことが学術論文の一種の「資格」のようになっていた。

論文の末に外国語の文献がずらりと並んでいるが、実際には論文のなかでは、一度も引用も言及もされていなくて、ただコケオドシのために外国語文献が並んでいることが多い。

外国語の文献から引用する時も、実際には日本語の翻訳から引用したのに、まるで原文だけしか読んでいないように擬装された引用文は、日本で出ている学術論文の中に無数に存在する。

 

加藤尚武著作集第13巻「植民地主義の文体」424頁

この論文は日本でどう哲学研究をすべきかという話でおもしろい。

 

哲学の根本的な軌道修正に寄与した最大の文献は清水幾太郎の『倫理学ノート』だった。(中略) ここで清水が試みたことは、ムーアが『倫理学原理』で否定した功利主義の復興を図ることであったが、そのためにはムーアがよりどころとした厳密主義の方法(言語分析)そのものを吟味するという回り道だった。「厳密主義から非厳密主義へ」、このかけ声はドイツでほぼ同時に、ヨアヒム・リッターを起動者として巻き起こるのだが、清水はこの動きを先取りして見せた。

しかも、清水は二十世紀初頭の知的運動になった人々のエピソードを生き生きと書き出した。知識社会学の新しい手法を見せたといってよいが、知識社会学と呼ぶには生々しすぎるほどである。そして例えばムーア、ケインズ、ロレンスの属していた知的集団の厳密性の希求の背後にあるスノビズムをさらけだしてみせた。これは西洋の知的な運動の受け止め方としては、われわれにとっては初めての視界を与えてくれた。清水は、哲学の文献からではなくて、生の現実の中から哲学の課題を拾い上げていく新しいやりかたに道を開いた。

 

加藤尚武著作集第12巻「敗戦後の日本哲学史」467頁

ここの記述は重要なのでメモしておこう。加藤先生も倫理学ノートを評価していたのか。私の『オックスフォード哲学者奇行』も「哲学の文献からではなくて、生の現実の中から哲学の課題を拾い上げていく新しいやりかたに道を開いた」…とは言えないか。

 

今日はひさしぶりiPhone SEで撮影

夜、クリーニング屋で娘の制服を受け取ってから帰宅。夕食。シャワー。

夜中、しばらく某翻訳のチェックとスイッチ。勉強しないと。

 

とりあえず某著作集の最後まで目を通す。15巻一通り読んだのは私が初めてなのではなかろうか。そんなことはないか。