え、こだまの世界?

A day in the life of...?

某講義、某演習、某会議など

定時起床。昨晩は『進撃の巨人』の2周目を読み終わる。ネコのエサやりと食器の片付け。それから某予習。

朝、少し気絶してからシリアル、予習。

身支度して洗濯物を干してから自転車で大学へ。

 

午前中は某授業。某名誉教授の自然哲学の話の続きと歴史哲学。

私の専門とする哲学の領域で言うと、世界的に見て、歴史哲学は絶滅したと言ってよい。哲学は人類の未来を語ることをやめて、「歴史の終わり」を宣言してしまった。すなわち、フランシス・フクヤマが「歴史という運動は、資本主義化が完成すれば終わる」というイメージを作り出したが、ここには(1)資本主義が社会主義に勝利した、(2)資本主義を超える社会形態は存在しない、という未来イメージの欠乏症が示されているだけだと思う。現代が歴史の欠如としてしか語られないのは、進歩という歴史の尺度までもが、社会主義の崩壊とともに、バブルとなってはじけてしまったからである。

 

加藤尚武著作集』第6巻『倫理学で歴史を読む』あとがき295頁

 

必然的に共産主義社会が来るというならともかく、これからの歴史がどうなるかは不勉強でよくわからないから、とても大それたことは言えない、という感じだろうか。ついでにこの直前の文章も引用しておこう。

 

いままでに「災害王国」と呼ばれたこともあった、「資源小国」とはいまでも言われる。石油ショックだとか、公害だとか、円高だとか、さまざまな危機は、それなりに乗り越えてきた。「もっと大きな危機がくるぞ」と叫ぶ狼少年にたいしては、「なんとかなりますよ」と答える習慣ができている。三年以内とか、五年以内とかそれなりに解決がつくような、小規模の危機にたいしては、混乱なしに対処するだけの弾力性をもっているかもしれない。

一〇〇年単位で先手を打つというような対処になると、日本は薄着をしすぎているから、身震いせざるをえない。エネルギー資源の枯渇とか、環境破壊とか、近隣諸国での地域紛争とか、南北対立とか、日本人の対外意識の甘さと対外交渉力の弱さがすぐにでも露呈しそうな可能性はいくらでもある。誰も一〇〇年先をめざした政策は考えていないようだ。現代人は先のことを考える力が急速に衰えてしまったのだ。

 

加藤尚武著作集』第6巻『倫理学で歴史を読む』あとがき295頁

 

昔の人がどのぐらい先のことを考えていたのかということはあるかもしれないが、まあいずれにせよ、少子化やら気候変動やらで、先のことを考えないといけないのは確かだろう。しかしそういう教育も訓練も受けてないので、どうしたものやら。

 

お昼はベジラーメン。お昼すぎ、少し一服。

昼下がり、某第二演習。自動運転車と道徳的責任。

夕方、中央購買部に買い出し。それから某氏に手伝ってもらって仕事を進める。そのあと、某オンライン定例会議。

夜、自転車で帰宅してしばらく猫の相手。夕食。コーヒーフィルタを買うのを忘れた。あれ、コーフィーフィルタ? 新聞。ShareTheMealで少し寄付。

 

夜中、少し某翻訳チェックとスイッチなど。シャワーを浴びて猫の相手をしながら夕刊。