遅めに起床。昨晩はついマンガを読んだりして夜更かし。よく寝る。
まず洗濯物を干そう。
業務連絡。午前中の私は、お昼すぎの某用事に備えて予習するように。午後の私はエアコンの掃除と授業準備をするように。スイッチで遊びすぎないように注意せよ。
シリアル、新聞。昨日のデーブスペクターの語学暗記術の話、おもしろいな。私もやるか…
しばらくラジオを聞きながら調べものをしながらスイッチなど。英国保守党、総選挙に勝ったら徴兵制を復活させるという公約。すごいな。
午前中はついスイッチをしてしまい、あっという間に終わる。身支度をしてから昼食。蕎麦など。蕎麦と素麺などは作れます。
お昼すぎ、某オンラインインタビュー。学校保健の脱衣をめぐる件だが、これは新聞社か文科省か公衆衛生研究者が実態を調査したらどうだろうか。
昼下がり、しばらく小人閑居して善を為さず(不作為)。仮眠。それからエアコンの掃除。基本的に自動で掃除をしてくれるタイプなのだが、フラップのあたりに黒カビが生えるので、毎年きちんときれいにすること。
少しメールの返事。勉強しよう。
「体系を完成した哲学者ヘーゲル」というレッテルは、多くの哲学史などに書かれているが、実際には完成になっていないし、ヘーゲルには印刷物として完成する意志もなかった。無名の新人が自分を売り込むために〔『精神現象学』のタイトルに〕「体系第一部」などと書き込んだのだが、さて、そのヘーゲルが有名になり大家として世間からもてはやされたとき、体系を完成する見込みは成り立たなかったというのが実情である。
完成から未完成へとヘーゲル像が転換したことで、テキストの読み方が変わってくる。日本では金子武蔵専制が、ほとんど半生をかけて『精神現象学』の翻訳を完成されたが、金子先生は「完成した体系」として読み込んでおられる。文章の前後がつながらない場合でも、訳文を工夫してつながるようにしている。ヘーゲルの全テキストについて、つねに未完成、不整合、編集ミスの可能性があると考えて読み直さなくてはならない。
『加藤尚武著作集』第4巻 著者解題469-470頁 (〔 〕、太字は児玉による)
テキストをどのような完成状態と考えるかで、読み方が変わってくるというのはおもしろい現象だと思う。
弁証法は雲だった。壮麗な峰々が光を浴びて立ち並ぶと思えたものは、雲にある角度から光が当たって見えるイメージにすぎなかった。具体的に言うと、ヘーゲルの著作ではどこかに本格的な「弁証法論理学」の説明があるかのように思わせておいて、実際にはどこにも「弁証法的論理学」の説明はない。「弁証法論理学の体系」という概念がヘーゲルの念頭に浮かんだことは一度もない。(……)
私の全生涯をかけた追求の物語が「弁証法は雲だった」という「雲をつかむ話」で終わるのは残念である。しかし、ヘーゲルの自筆の全著作のなかの「弁証法」の用語例を調べた結果が「雲」なのだから仕方がない。ヘーゲルは、その自筆の全著作で、「弁証法」について体系的に説明したことは一度もない。
『加藤尚武著作集』第4巻 著者解題477-478頁
味わいのある文章だな。
そういえば、少し前にPixel 8a用に下記のケースを買って、とくに不満はないが、ケースを付けたまま充電しようとするとUSB-Cのケーブルが差さらないことがある気がする。それとは別に液晶カバーのフィルムも買ったが、7aのフィルムの四隅をハサミで切ったのをそのまま使っている。
夕方、街に出てカバンと傘を購入。他にも買うべきものがあった気がするが疲れてやめる。
夜、帰宅して夕食。カレーとビール。鬼滅のアニメを少し見る。
少し某翻訳チェック。某寮の音楽がうるさいな。何時までやるつもりかな。
私が修士課程の学生であったとき、博士過程(ママ)の藤本隆志さんから、こういう忠告を受けた。「君が優れた才能をもっているということは、諸先生方も認めておられる。しかし、その才能をヘーゲル学に使ったのではもったいない。ヘーゲル学はいずれ消滅する。いまから英米の哲学に乗り換えた方がいい。」
私は、「自分の心のなかでくすぶっているマルクス主義が正しいかどうかをたしかめるためにヘーゲルを研究しているので、ヘーゲル学を棄てるわけにはいきません」と答えた。藤本さんは「蜘蛛の糸」のなかのお釈迦様がカンダタを見たときのように悲しそうに「じゃ、仕方がないな」と言った。
『加藤尚武著作集』第5巻 著者解題427-428頁
この話も印象的だ。藤本隆志氏はその後ウィトゲンシュタイン研究者になる。
夜中、うとうとしながらヘーゲルの勉強。ますますうとうとする。某寮の音楽はちゃんと終わったようだ。シャワー。寝るべし。