定時起床。目覚ましなしで少しだけ早めに起きる。食器の片付け。
今日の自分に業務連絡:今日は一応研究日なので、授業準備などがんばること。
早朝、少しヘーゲルの勉強をしてから(あるいは、したせいか)二度寝。よく寝る。
シリアル、朝刊。略式制度による冤罪の話。たしかに怖いな。
映像の世紀でカラシニコフ銃の歴史を見る。第二次世界大戦でドイツ軍のサブマシンガンに圧倒された兵士ミハイル・カラシニコフが、独学で1947年に自動小銃AK-47を開発した。ハンガリー動乱で用いられ、スターリンの死後は東欧全体で開発され、さらにフルシチョフが中国に技術提供を行う。ベトナム戦争では米国がM16を投入するが、過酷な状況では故障気味で、ベトコンが使うAK-47の優秀さが際立った。ソ連のアフガン侵攻では、米国が中ソ対立を利用して中国からAK-47(56式自動歩槍)を大量に購入し、イスラム義勇兵に提供した(このときの義勇軍の中にオサマビンラディンがいた)。ソ連崩壊後は東欧からAK-47が大量に流出し、主にアフリカの内戦で使われ、内戦の長期化をもたらすことになった。後に、「悪魔の兵器」を作ったことに関してインタビューされたカラシニコフは「武器が悪いのではない、人間が悪いのだ」と主張。2001年の同時多発テロ以降、AK-47は打倒アメリカの象徴としてテロなどで利用される。2013年にカラシニコフ死去。国葬でプーチンも出席。2017年にはついに米国製のAK-47も発売され、国内の銃乱射事件でもAK-47が用いられているそうだ。あら、次回は安保闘争が取り上げられるのか。カラシニコフの話は某加藤先生のインタビューでも教えてもらい、下記の文献を紹介していただいた。
朝、身支度をして洗濯物を干してから自転車で大学へ。小雨。
まず、某オンライン会議。
お昼前、某先生のお部屋でコーヒーをいただきながらいろいろ相談。
お昼すぎ、中央購買部に買い出しへ。ベジラーメンなど。
論理が自律して、精神と自然の繋ぎ役を演ずる。それがヘーゲル哲学の核心である。
『薔薇物語』の作者ならば、「精神が自然と出会う仲立ちが論理なのです」とすらすら言えるだろう。ヘーゲル哲学が「難解」に見えるかどうかは、『薔薇物語』のような暗喩を読む習慣があるかないかにかかっている。
はあ。なるほど。読書のコンベンションを知っている必要がある、と。
昼下がり、某病院の某対面会議。今回から某氏もご一緒することに。少し暑く、ちょっとウトウトしてしまう。
夕方、研究室に戻ってくる。ヘーゲルの勉強。「もしもし、あたし絶対者よ…」
弁証法の本質は否定にある
弁証法の本質は否定にある、という趣旨の某先生の文章を読んでいて、ミルの『自由論』の下記の一節を思い出した。
論駁法による議論をバカにするのが今日の流行である。自分からすすんで真理を述べず、ただ相手の理論の弱点や実践上の誤りを指摘するだけだからだ、という。
たしかに、否定だけの批判は、それが最終結論であるならば貧弱そのものである。しかし、論駁法という名にふさわしく、積極的な知識や確信に到達するための手段としてならば、それはいまでもきわめて高く評価されるべきものである。
これは真理を見つける上でのソクラテスの対話篇の有用さをミルが力説しているところで、この論駁法は原語はnegative logicで、真理に到達するためには常識が一度破壊されなければならない、というような感じだと思う。ちなみに岩波の関口先生訳は下記のようになっている。
否定をこととする論理、つまり、積極的な真理を打ち立てはしないまま、理論上の弱点や実践上の誤りを指摘する論理のことだが、これを軽蔑することが今どきの流行になっている。たしかに、否定するための批判は、そういうことが最終の到達点だとすれば、かなり貧弱である。しかし、何であれ積極的な知識や信念と呼ぶに値するものを達成するための手段として見れば、どんなに高く評価してもしすぎることはない。
とはいえ、某加藤先生によればヘーゲルはプラトンの対話篇は基本的に嫌いで、『ティマイオス』だけを評価していたそうだから、ソクラテスの対話術(英語ではdialectics)がヘーゲルの弁証法にそのまま繋がっているわけでもないようだ。
「否定は単にnotでしょう」と言いたくなるが、まあ「否定すること」を拡大解釈して、「異論を唱えること」や「疑うこと」を含めれば、確かに重要だと思う。
夜、帰宅。夕食。夕刊。自治体職員の名刺が自腹という話。ぜひ大学教職員も調べてみてほしい。東大にいたときは法人化して名刺は無料で作ってもらえたが、京大はいまだに自腹です。鬼滅のアニメを少し見る。それから、早めにシャワー。
夜中、RSSニュースの確認や某電話やメールの返事など。もう少し勉強しよう。
寝るべし。
あれ、PPAでも問題が起きているのか。全員辞めて新しいジャーナルを作るとのこと
— 児玉聡 (@s_kodama) 2024年5月27日
Leiter Reports: A Philosophy Blog: All editors (except the EIC) and the entire editorial board of Philosophy & Public Affairs resign, and will start a new open access journal https://t.co/WYwlrxhBQm