「それで、ポロスよ、哲学者の能力とは一体なんなのかね。また、それは教えることができるものなのかね。」
(しばらく間が空く)
「ポロスよ。反応がないがどうしたのかね。」
「すみません、通勤してました。」
「では、改めて。ポロスよ、哲学者を哲学者たらしめる能力とは何なのかね? また、それは教えられるものなのかね?」
「そうですねえ。難しいドイツ語の哲学書を読めることではないでしょうか。」
「しかし、ポロスよ、その能力は君をせいぜいドイツ哲学研究者にするだけではないだろうか。それに、それは翻訳家だって必要な能力だろう。君はドイツ語の本を訳す人を哲学者とは言わないだろう。」
「それもそうですね。では、哲学者が持つ能力とは、正しく推論する能力のことではないでしょうか。」
「たしかに、正しく推論する能力は哲学者に必要だろうね。しかし、ポロスよ、はたしてそれは哲学者に限ったことなのだろうか。有能な裁判官も、正しい推論能力を持つのではないか。しかし、それをもってわれわれは裁判官を哲学者と呼ぶだろうか。」
「呼びませんね。」
「また、有能な探偵も、正しい推論能力を持つのではないか。しかし、われわれはシャーロックホームズを有能な探偵とは呼ぶが、哲学者とは呼ばないのではないか。」
「そのシャーロックホームズとは誰のことですか。」
「コナンドイルの小説に出てくる探偵のことだ。君は教養がないな。」
「古代ギリシア人ですから。それはともかく、私にはわからなくなってきました。何が哲学者を哲学者たらしめるのでしょうか。」
「ポロスよ、もう音をあげたのかね。」
「いや、そろそろ図書館に行く時間でしてね。では、もう少し付き合いましょう。騒音やバスのアナウンスにうるさいと文句をいう能力のことではないですか。」
「それはクレーマーの能力であって、哲学者の能力ではないだろう。下らない冗談はやめたまえ。」
「いや、本当にわからないのです。哲学者を哲学者たらしめる能力というのは何なのでしょうか。自分がわからないものを人に教えることはできない気がしてきました。」
「ポロスよ。それでは哲学の教師失格ではないのかね。」
「では、あなたにはわかっているのですか。まさか知を愛することとか言うんじゃないでしょうね。そんなの、能力ではないし、仮に能力であったとしても、学者ならほとんどの人が公言することであり、哲学者プロパーの能力とは言えませんよ。」
「ふん、ポロスよ、これはなかなかうまく言ったものだ。では、君には石橋の比喩をしてあげよう。」
「なんですかそれは。」
「それはこういうことだ。見たまえ、ポロスよ、あそこに大きな石橋があるだろう。」
「ありますね。」
「そこを大勢の人々が渡っているのが見えるかね。」
「よく見えます。」
「では、ポロスよ、教えてくれたまえ。彼らは、石橋が崩れるのではないかと心配しながら渡っているだろうか、あるいは、そのようなことはまったく考えもせずに渡っているだろうか。」
「もちろん、そんなことは考えずに渡っています。あの石橋は長い間あそこにあるものですが、とてもしっかり作られているので、そんなことを考える人はまずいないでしょう。」
「しかしね、ポロスよ、哲学者とはまさに、みなが何気なく渡っている石橋を叩くために神々に作られた人々のことなのだ。」
「え、哲学者はあの石橋を叩くために作られたのですか。」
「ポロスよ、だから最初に比喩だと言っただろう。哲学者を哲学者たらしめる能力とは、石橋を叩くような能力だと言っているのだ。」
「なるほど。しかし、それは推論を吟味するということではないのですか。」
「たしかに、前提から結論へと至る推論を吟味するのも重要な仕事だが、それだけではなく、多くの人々が受け入れている前提そのものを疑うことが必要なのだ。」
「なるほど、石橋を叩いて破壊するわけですね。」
「そうだ、そしてより強固な石橋を作ろうとするのだ。」
「しかし、新しい石橋の方が強固であることは、どうやってわかるんですか。」
「それは良い点だね、ポロスよ。しかし、それは結局のところ、実際にわたってみないとわからないものだよ。」
「なるほど、その石橋の比喩というのを、もう少しよく考えてみることにします。ちょっと図書館に行きたいので、またあとで。」
「強引にまとめたね、ポロスよ。」*1