え、こだまの世界?

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哲学史を学ぶ意義

「過去の人の言ったことを学ぶ意味なんてない」という一般人の意見や、哲学と哲学史は違うんだから、哲学をやるために哲学史を学ぶ必要はないという哲学者の意見もありますが、哲学史を学ぶことにはざっと考えて以下の点で意義があると思われます。

  • 歴史は誤謬あるいは失敗に満ちているから、先人の失敗を学ぶことは重要です。ナポレオンがどこで失敗したかとか、関ヶ原の戦いで豊臣軍のどこが甘かったかというのと同じように、アリストテレスがどこで間違えたか、デカルトがどこで間違えたかなどを検討することは、自分が今後同じ間違いをしないために重要です。
  • 過去の哲学者の思想は必ずしも「死んで」おらず、現代でも社会で通用しているものも多いです。アリストテレス的な目的論的な自然観をしている人は現代では少ないと思いますが、ホッブズ的な人間観や社会観を持っている人はいるのではないでしょうか(「お、ホッブズの言っていることはその通りだな」)。哲学者の意見と同じような考えは時代を超えて再生産されるので、過去にどういう考えがあったのか、またそれに対してどういう批判があったのかを一通り学んでおくことは重要です。
  • いやというほど多様な価値観や世界観が学べます。現代社会においても多様な価値観や世界観は存在しますが、哲学史を学ぶことで道徳や認識などの問題に関して、これ以上ないほどエキセントリックな考え方を学ぶことができます。それによって価値観や世界観の多様性に敏感な人間に成長できます。
  • 哲学史を学ぶことを通じて現在が特別に優れた時代とは限らないこと、過去にも優れた思想が多くあったことに気付きます。現代人はとかく現在が歴史上もっともよい時代と考えがちです(「iPhone 6の方が初代iPhoneよりもあらゆる点で優れているに決まっているじゃないか」)。しかし、哲学に限りませんが、歴史を学べば、文学でも何でも、過去にもたくさん優れた人物とその著作があることに気付くでしょう(優れていないものはすでに淘汰されているので余計にそう見えることでしょう)。マルクス=アウレリウス、パスカルモンテーニュなどの思想家の著作から人生訓を学ぶ人も多いです。現在を相対化し、より優れた時代を作り出すためにも、過去の哲学を学ぶことは大事です。
  • ただし、哲学史を単なる知識として覚えるだけでは、以上のような効用は見込めません。言い換えると、哲学者の思想をthoughtではなくthinkingとして、生きたものとして捉える必要があります。その意味で、哲学史は歴史として捉えると同時に、ある意味で同時代の人間の発言であるかのように理解し、向き合わなければならないと言えるでしょう。哲学史から歴史を学ぶだけではなく、同時に哲学することも学ぶのでなければいけません。

あれ、何か以前にも同じようなことを書いた気がしてきたな…