え、こだまの世界?

A day in the life of...?

臓器移植雑感

最近の動向について、考えていることをちょっとメモ。

  1. オプトアウトと同意能力のない人の扱い
  2. 親族優先と公平性
  3. 「自給自足」とグローバルジャスティ

1. オプトアウトと同意能力のない人の扱い

改正臓器移植法によって、本人が拒否していなければ、家族の承諾だけで脳死臓器移植が可能となった。オプトアウト制度(opting-out, 対義語はopting-in)とか、推定同意(presumed consent)制度と言われる*1

これは、政治哲学の議論では、昔から「暗黙の同意論(tacit consent)」として知られるものだ。「国民はなぜ法に従わないといけないのか」という問いに対して、「国民は法に従うことに同意しているから」と答える。それに対して、「わたしは同意した覚えはない」という人がいたら、「いや、あなたもこの国に長く住んでいるわけだから、暗黙のうちに同意したと言えるだろう」と答える、というのが暗黙の同意論だ。

これに対するヒュームの反論は、「いや、国に住むかそれを拒否して国を出るかというのは、実際に国を出ることが困難なことを考えると、自発的な同意とは言えない。それはちょうど、目覚めたら船に乗っていていることに気付いた乗客が、わたしは船に乗ることに同意していないと船長に詰め寄ると、船長が「船から海に飛び降りないということは、船に乗ることに同意したのでしょう」というようなものだ」というものだ*2

暗黙の同意というのはすべての決定を「同意」によって正当化しようとするフィクションともいえるが、まったく成り立たないわけでもない。ただ、それが成り立つためには、自発的な同意であって、望めば拒否できることが必要がある。また、インフォームドコンセントの「インフォームド(十分に説明を受けた)」も大事である。その意味では、臓器移植に対する十分な情報提供と、拒否できる機会の保障を行うべきだ。

話が長くなったが、ポイントはそこではなく、オプトアウト制における同意能力のない人の扱いである。暗黙の同意論では、同意能力がある成人が前提されているが、臓器移植制度では同意能力のない人についても考慮する必要がある。とくに問題になるのは子どもと知的障害者だ。新しい制度では、現在、次のようになる予定だ。

臓器提供の意思表示が可能な年齢については法律には記述がない。現在の指針で15歳以上の提供意思表示のみ有効と定められている。指針改正案では、提供の意思については現在と変わらないが、提供を拒否する意思について、すべての年齢で有効とした。

 改正法によると、本人の意思が不明な場合、家族の書面による承諾で臓器提供が可能になる。家族の範囲は現在と同じで、配偶者、子ども、父母、孫、祖父母など。ただし、指針改正案には、死者が未成年だった場合、特に父母それぞれの意向を慎重に把握することが明記された。意思表示しにくい小さな子どもは多くの場合、提供の可否を親が判断することになる。

 現在、意思表示が困難な障害者などは臓器提供の対象から除外されている。委員会で議論になったのは、知的障害や病気で意思を伝えることが困難な人の扱いだった。委員からは、「小さな子どもは親が判断できるのに、知的障害者は保護者が判断できないのはおかしい」などの意見が出された。だが、改正法を提案した議員が国会の審議で、「知的障害者は除外する」と答弁したとの理由から、年齢にかかわらず臓器提供を認めないことになった。(毎日新聞医療ナビ:15歳未満の臓器提供 改正移植法の7月全面施行を前に…」)

子どもは何歳であっても拒否できるが、拒否しない場合は、親の承諾で足りる。しかし、知的障害者は、保護者の承諾の有無に関わらず、一切ドナーになることができない。

これは、上の引用の異論にあるように、一見して一貫性がないが、次のように解釈することは可能かもしれない。すなわち、子どもには拒否の能力を認める点で、同意能力のある成人と同じ扱いをしており、子どもは「暗黙の同意」をしているが、知的障害者は、拒否する能力も同意する能力もないため、臓器移植のドナーになる可能性が予め排除されている(つまり、拒否権があるのではなく、同意と拒否という選択肢がない)。しかし、何歳の子どもでも同意能力があるというのは無理があるように思われる。また、たとえば「3歳の知的障害者ではない子ども」と「3歳の子どもの知的障害者」がいて、一方は拒否権も親の承諾による移植も可能であり、他方はそれが不可能であるというのは、十分な説明がつかないように思われる。

さらに気がかりなのは、「知的障害者は移植のレシピエントになれるのか」という問題だ。知的障害者はドナーになる可能性を一切排除されているとして、レシピエントになれる可能性についてはどうか。仮に、保護者の承諾によって、(ドナーにはなれないが)レシピエントになれるとすると、この非対称性をどう説明したらよいか。

「ドナーになるのは、本人にとって利益にはならないため、本人の(明示・暗黙の)同意が必要である。しかし、レシピエントになるのは、本人の利益になるため、本人の同意は必要ない」という説明が考えられる。しかし、こう主張すると、やはり一見して同意能力のない3歳の子どもについても、ドナーになれないと主張しなければ一貫性がないことになるだろう。やはり、子どもには拒否権および親の承諾による臓器提供を認めつつ、知的障害者をドナーから一切排除するという制度は、問題があるように思われる。

疲れたので続きはまた今度。

*1:詳しくは論文参照

*2:"Can we seriously say, that a poor peasant or artizan has a free choice to leave his country, when he knows no foreign language or manners, and lives from day to day, by the small wages which he acquires? We may as well assert, that a man, by remaining in a vessel, freely consents to the dominion of the master; though he was carried on board while asleep, and must leap into the ocean, and perish, the moment he leaves her." Hume, Of the Original Contract.