え、こだまの世界?

A day in the life of...?

翻訳について

翻訳については、よく関わることもあり、いろいろ考える。一つは、翻訳はたいへん勉強になることだが、この点での翻訳の効用についてはいつも書いているので省略。

もう一つは、やはり、翻訳ばかりしていているとオリジナルな研究ができなくなる、ということ。これは、時間的な制約という意味もあるし、解釈ばかりしているとオリジナルな思考が生み出されなくなるという意味もある。

しかし、地政学的(?)に考えてみると、現代の思想における英米文化の影響とか優位性というのはおそらくものすごいものであり、英米ギリシアローマ帝国、日本=オリエントの小国というような感じだとしたら、そもそも下手にオリジナルなものを追求するよりは、優秀なものを輸入する方がずっと有用かもしれない。

また、近代の超克とか、西洋思想との対決とかは、さいわい現代では戦時中ほどに必要とされていないのかもしれない。日本にとっては、輸入品を優秀かつ日本の問題に適合したものに仕上げていくのがいいのかもしれないとも思う。

まあ、その一方で、日本からの発信というか、アカデミアもグローバル化しているから、輸入超過ばかりでは困るわけだが。アカデミアもイチローやノモやダイスケをどんどん輩出する必要があるのだろう。

それにしても翻訳する必要があまりないアメリカ人研究者は、こういうことは考えないんだろうか。オリジナリティだけを追求しているのかな。(ほぼ)一言語だけで研究できるというのはすごいよなあ。これまでそういうことができたのは、西洋ではギリシア人ぐらいだったのではないか。イギリス人研究者は、ニコマコスを翻訳したりしていて、もうちょっと古典文化を尊重している気がする。