10数年ぶりに公立高校が優勝したというので、朝日の社説がおもしろい。結びのところで格差社会と結び付けている。
高校野球の選手を取り巻く環境は、一般の社会と同じように一様ではない。極端な格差は是正していきたいが、完全な平等は難しい。専用球場や寮を持つような高校もあれば、狭いグラウンドを他の部活動と共用し、用具を買うのもままならないところもある。
しかし、格差を嘆くよりも、その差を埋める術はまだいくつもある。そんなことを考えさせた大会だった。
球場に入り、いったんプレーボールがかかれば、私立も公立も伝統校も無名校もない。どのチームにも勝者になる可能性は与えられている。
(朝日本日付社説)
格差は歴然としてあるが、努力次第でunderdogがエリートに勝つ可能性もあるというわけだ。
しかし、たしかに「どのチームにも勝者になる可能性は与えられている」と言えばウソではないが、今回「奇跡」という言葉がよく使われたように、自然的不平等に加えて社会的不平等も大きければ、underdogがエリートに勝つ「確率」は、かなり低いだろう。今回の公立校の優勝は、たしかにunderdogを勇気付ける心温まる話だが、だからといって社会経済的な格差は放っておいてもよい、という話にはならないだろう。公正な機会均等が望まれる。