- 作者: 庄司薫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1995/11
- メディア: 文庫
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自由と平等の「かねあい」なんてのはまやかしで、民主主義における「機会均等」という正義は「結果の平等」にまで進められなければならない、という前世紀以来の一つの考え方が[1969年頃には]豪勢に盛上がっていた。言いかえれば、猛獣以上に人類に顕著な「優勝劣敗」の法則をどこまでも緩和できると信じる、あるいは夢見ることができたのだ。(「四半世紀たってのあとがき」198-9頁)
この庄司薫という人も、「優勝劣敗」すなわち竹内洋のいう通俗的な社会ダーウィニズム的思考を問題視していたようだ。立身出世主義に対する反動が60年代の学校紛争の一因だったと言えるのだろうか。もう少し勉強してみよう。
話は変わるが、もう少し近代日本の思想史を勉強したら、某師匠の言うとおり、功利主義がどのような命運を辿って現在のように理解されるようになったのか、あるいはほとんどすべての知識人が誤解するような思想になったのか、調べてみたい。具体的には、
といった問いを考えてみたい。永井義雄の『ベンサム』や世界の名著の序文にも少しあるが、もっと掘り下げてやってみたい気がする。今年の科研はこれで出してみるかな。