え、こだまの世界?

A day in the life of...?

There's a riot goin' on

勉強する気が起きないので、この本を読み進めながらつれづれに引用。

ハイスクール1968

ハイスクール1968

高校紛争が絶頂を迎えたのは、1969年の9月から12月までの期間である。この間に都立高校149校のうち、31の高校で紛争が生じ、うち24校がバリケード封鎖に突入した。(145頁)

今日伝えられているかぎりでもっとも古い高校紛争は、1968年3月に県立福島高校で、卒業式のさいに、学校当局が認めた送辞がすり替えられ、高校二年生がヴェトナム反戦とともに高校教育のあり方を批判した事件に始まる。(146頁)

後にわたしが知ることになったある舞踏家は、長野県の高校で反戦高協に入っていて、セーラー服にヘルメットという格好で政治集会に参加していたと語ってくれた。(147-8頁)

「青山高の英雄的闘争に連帯しよう」というのが、新左翼の高校生たちの合い言葉となった。(148頁)

連帯という言葉はこうやって使うのだな。

新宿高では三年生の一人が、封鎖された音楽室でドビュッシーを優雅に演奏していたという、まことしやかな噂が流れてきた。大分後になって、その生徒が坂本龍一という名前であったと、わたしは知らされた。(148頁)

竹早高の場合発端となったのは、修学旅行や送別会における教師たちの金銭的な不正であり、それをどこまでも隠蔽しようとする校長、教頭の欺瞞的姿勢であった。ささいな学内問題が大きな紛争へと発展していったのには、ひとえに教師と学校側の対応が杜撰だったことがあるだろう。彼らは異議申し立てという時代の趨勢をどこまでも外部の事件としてしか把握しておらず、内側で真摯な主張がなされていることになかなか目を向けようとはしなかったのである。(150頁)

近年の医療過誤訴訟と構造が同じ。そう考えると、医療にも当時の高校と同じような、時代の大きなうねりが来ているわけか。

高校紛争に手を焼いた文部省は、[1969年]10月31日に「高等学校における政治的教養と政治的活動について」という見解を発表し、そのなかで未成年者である高校生の政治的活動は教育上望ましくないという見解を披瀝した。また生徒の政治参加を黙認する高校は、政治的中立を旨とする高校のあり方を説いた教育基本法の趣旨に反するという態度を示した。151頁

高校生の政治参加を辞めさせるという行為は、それ自体が政治的行為にならんのかな。

「把握しなくてはならない点は、教師と生徒との徹底的な断絶である。勤評体制、教科書の実質的国定化等の文部省統制下にある教師は、自らのマイホーム的生活を守るため『事なかれ主義』に陥り、ごくたまに高校生の間から生れてくる自主的活動も、その思想性を理解する力を失い、ただ自己の常識的見解にとじこもり、活動の抑圧者として登場する」(吉田一郎、青山高三年) 149頁

「そうそう、花の名前を覚えたりね」「自己批判せよっ」

[体育の教師]「お前の考えてることはわかるよ。けれどこんな生き方をしてると、損するばかりだぜ。みんなはもっと利口なんだってことを、知っておいたほうがいいな。見ててみな。こないだバリ封をしたアカの連中だって、来年になればみんな東大に現役で合格して、役人や弁護士になったりするんだから。お前が馬鹿じゃないことはよく知ってるよ。けれどももう突張ってたって、仕方ないだろ」170頁

わたしは長い時間の後に石井と、西新宿の都庁のロビーで会った。それは22歳で彼が選んだ職場だった。彼は革命はいつか起きると信じて、長い間労働運動に従事していたが、就職、結婚、父親になるといった人生の節目ごとに、自分が体制の側に組み込まれていくのが実に嫌だったと、わたしに語った。石井は今では、自分が生まれ育ったブルジョワの住宅地に住み、かつてあれほど敵対していた民青の同級生たちとも親交があるといった。バリケード封鎖したことは一度も後悔していない。あれは自分にとって、旧世代の8月15日にも比すべき体験だった[と語った]。175頁

「体制か反体制か」という考え方。根本的に制度を変革するには、反体制側にいないといけない、体制側にいる限り、徹底的な改革はできない、という思考。しかし、外野でやじるばかりになってもいけない。どの位置にいればもっとも効果的に改革ができるかは、時代や地域によって異なるのかもしれない。まず状況情況を見極めよっ。

教育大駒場では処分者は出なかったが、多くの高校では機動隊が導入され、封鎖に関わった生徒が次々と処分されることによって、紛争は無理やりに解決へと向かわされた。高校生が掲げた要求は蔑如にされ、その問題提起は隠蔽された。彼らの後の世代はもはや教師や学校側にむかって主張を掲げることをやめ、動機を欠いた校内暴力という形で、みずからを表現するようになった。1969年の高校生は世界に横たわる理不尽に抵抗を唱え、曲がりなりにも仲間を組織することができたが、現在の高校生はすべての不条理と抑圧を内面に抱えこんでしまい、自傷不登校、そしていじめという落し穴に陥っている。でなければ高校への帰属意識をかぎりなく希薄にしたまま、セックスとアルバイトに向かうことになる。やがてこのストレスはより深刻で悲惨な形をとって、より年少者へと受け継がれることだろう。60年代後半に生じた高校生の造反の声に耳を貸さず、強引にそれを封じ込めてしまったことへの高い代価を、教育者である側の高校はこれからも払っていかなければならないだろう。180-181頁

高校紛争→校内暴力→いじめという時代の流れ(図式化しすぎ?)をもうちょっとよく調べてみる必要がある。このあたりはなぜかひどく気になるところだ。
この本、途中に中だるみする気がするが、第5章の紛争の話はとてもおもしろかった。

だが、[東大医学部ではなく]文学部を目指したからといって、そこに確固としたヴィジョンがあったわけではなかった。当時のわたしは、大学の大教室で文学や哲学というものが律儀に教えられているということに、どこかしら滑稽な偏見をもっていて、ああしたものは勝手に書物を読んでおけばいい。自分で部屋に閉じ籠もって、独自に思考することからのみ編み出されるものだという、傲慢な観念しか抱いていなかったのである。212頁

オレもそう思っていたけど、これって何でなんだろう。医学や法学と比べると体系性がないから? とりあえずは誰でもアクセスできるから?