え、こだまの世界?

A day in the life of...

久しぶりに(逃避的に)植物学の勉強

植物と帝国―抹殺された中絶薬とジェンダー

植物と帝国―抹殺された中絶薬とジェンダー

アグノトロジー

「アグノトロジー」とは、ある文化的文脈の中で抹殺されることになった知識を研究するもので・・・私たちが何を知らないのか、なぜ知らないのかを問うことも含めて「私たちはいかにして知識を得るのか」という問いを再考しようというものである。無知とは、単に知識の欠如を意味するだけでなく、文化的政治的闘争の結果でもある。10頁

なるほどね。情報弱者とかいうやつかな。

オウコチョウ自体がこともなく[西インド諸島から]ヨーロッパに移送されたにもかかわらず、これを中絶薬として用いるという知識は伝わらなかった。なぜ伝わらなかったのか。・・・ヨーロッパ人がエキゾチックな植物を褒め称えていた時期に、有用な薬となる可能性を秘めたこの植物がヨーロッパに広まるのを阻んだのは何だったのだろうか。13頁

男性が女性を抑圧しているからですっ。

植物学と政治

科学史において根強い定説の一つは、近代植物学の隆盛を、分類や学名命名法、および「純粋」な分類体系の台頭としてとらえるというものだ。たしかに18世紀には、植物学を含む多くの分野で、系統学(学名命名法や分類学)の重要な発展が見られた。・・・しかし、・・・植物学という「科学」が、今日ならさしずめ「応用」植物学と呼ぶものにどのように知識を提供し、またそれらからどのように知識を得てきたかについて考えることが重要である。この時期の植物学は、ビッグ・サイエンスであり、ビッグ・ビジネスでもあり、資源豊かな東西インド諸島に軍事力を投入する本質的な役割を担っていた。ドーバントンが記しているように、「君主が博物学の教授職を創設した」のは、貴重な植物を見つけ確認することが、国家にとってきわめて重要であったからにほかならない。14頁

なるほど。今日におけるライフサイエンスのように、科学者の純粋な科学的関心だけでなく、国益追求のための国家的プロジェクトとして学問振興が図られたという側面を忘れるなということだな。

ライフサイエンスとのアナロジーはまだあって、今なら遺伝子組み換えを行って食糧生産や医薬品生産を行うところだが、当時ではそういう技術も知識もないから、有用な植物を探してきて国内栽培をするという発想があったわけだ。

彼[リンネ]はまた、飢えに苦しむ農民が食糧を得られるよう、たとえば、モミの木の樹皮や海草、ゴボウ、湿原のギンバイカ、あるいはアイスランドのコケ(地衣)など新たな土着の植物を見出すことで、スウェーデンの深刻な食糧不足が克服されることを望んだ。16頁