え、こだまの世界?

A day in the life of...?

「パパは面倒をみてくれない」、某インタビュー、某推敲作業など

定時起床。猫の餌やり、食器の片付けなど。8月か。

少し二度寝してから、ゴミ出し、洗濯物干しなどなど。さすがに三度寝はやめるべきか。

シリアル。朝刊。某大学でも同じような公募が。

 

「パパは面倒をみてくれない」

そういえば、昨日の朝日新聞の夕刊にあった「パパは面倒をみてくれない」「ママがいい」という幼児向け靴下が販売中止になったという話、なかなかおもしろい。

「メッセージが書かれたTシャツは昔からありますよね。別にいいのでは」

「たしかにそうだが、それは普通は本人が選んで着るわけだろう。幼児の靴下は本人が買って履くわけではないから、典型的には母親か父親が買うわけだから、親の戦争に幼児が巻き込まれることになるとも考えられる」

「まあそうかもしれませんが。シャレでしょう、これ? 目くじらを立てなくても」

「いやいや、作った方はシャレのつもりだったかもしれないが、父親が子どもの面倒を見られないのを非難するのに加担していることになるとも言える」

「でも、記事にあったように、父親が子どもの面倒を見ないのは統計的な傾向でしょう?」

「この社会学者の意見には少し驚いたが、問題がふたつある。父親が子どもの面倒を見られないのは、社会構造の問題なのか、父親本人の責任なのかということを問題にしないといけない」

「どういうことですか」

「たとえば、政府が本腰を入れて対策を立てたので男性の育休の取得率が上がったそうだが、それは裏を返せばこれまで男性が育休をとりにくい社会だったとも言える。このような社会構造を抜きに「パパは面倒をみてくれない」と父親の責任を問うのは問題と言える」

「なるほど。二つ目は?」

「統計的な傾向だから、メッセージとして書いてよいかという問題がある。たとえば、靴下に「貧困層ほど喫煙率が高い」と書いていたら、ぎょっとするだろう」

「それはそうですね。誰もそんなこと書かないでしょうけど」

「喫煙率の件は、統計的な事実であり、白書に書いてあるなら何の問題もないが、靴下やTシャツに書いてあると、その事実をわざわざ取り上げることによってメッセージ性が生じる。この点に気をつけなければならない、ということだ」

「なるほど、よくわかりました。ま、しかし、あなたが子どもの世話をしないことはたしかなんだから、それはそれで反省しないと」

「今はネコの面倒を見ています」

 

朝、少し某翻訳のチェック。それから洗濯物を取り込み、シャワーを浴びて自転車で大学へ。午前中は某オンラインインタビュー。デザイン倫理について。

 

The day the music died...


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お昼は中央購買部で買い物。ベジラーメンなど。納豆好きが多いのか、遅く行くと納豆巻きだけが売り切れている。

お昼すぎ、少しだけオンラインで某打ち合わせ。

そのあと、しばらく一服。

さて、某原稿の推敲作業をしないと。

 

夕方、真面目に某推敲作業。序文と結語も書かないといけない。がんばって終わらせよう。

 

 

今日も早めに帰宅。途中、東一条のスーパーで買い物。ネコのエサやりをしてから自分の食事の用意。今日も蕎麦など。

 

夜、洗濯物入れ、町内会の新聞配達、シャワーなど。そのあと、しばらくネコの相手をしながらマンガ。

夜中、某翻訳のチェックとスイッチ。遊んでないで、某推敲をしないといけないのだが。

 

そういえば下記の本もまた少しずつ読み始めた。家ではDommieと呼ばれていたこと、髪の毛は30代まであったこと、シュルーズベリー校では一切よい思い出がないと語っていたこと(いじめがあった可能性が示唆されている)、など。

 

そういえば、京大の医療倫理学教室に続いて、東大の医療倫理学教室も、新しい教授が就任したようだ。世代交代だな。