少し遅めに起床。ネコのエサやり、食器の片付け、洗濯物、ゴミ出しなど。
朝、二度寝せず、少し某翻訳のチェックとスイッチ。
第一次世界大戦から戦間期のシュルーズベリー校のいじめや同性愛の話など。「個性と特長(individuality and distinctiveness)を圧殺するように注意深く計算された、科学的に抑圧的なシステム」としての学校というのはどこでも同じなのか。学校での経験が後年のオースティンの人付き合いの悪さに影響している、とされる。
午前中は洗濯物が乾くのを待つ必要もあり、自宅で某推敲など。ちょっと仮眠。
お昼前に途中で弁当などを買って自転車で大学へ。
『二十歳のころ』ミルにきく
ーーミル先生は『自伝』の中で、二十歳のころに精神の危機を迎えたとお書きになっていますが。
そうですね。父親の英才教育が祟ってね。感情の陶冶ができていなかったわけです。功利主義者としてはバリバリ活躍していたんですけどね。
あるとき、「かりにおまえの生涯の目的が全部実現されたと考えてみよ。おまえの待望する制度や思想の変革が全部、今この瞬間に完全に成就できたと考えて見よ。これはおまえにとって果して大きな喜びであり幸福であろうか?」と自分に問うたわけですよ。そしたら「否」って即座に答えが思い浮んで。目の前が真っ暗になりましたよ。ほんとに。ワーズワースの詩を読んで24歳でハリエットに会うまでは、人生危なかったですね。
(ミルのインタビューは下記には収録されておりません)
お昼すぎ、某氏に仕事を手伝ってもらいながら、某先生と某相談、メールの返事など。メールの返事は夕方まで。
夕方、某氏来訪。諸事情でデジタルカメラを借りてゆく。
夜、百万遍のインドカレー屋で簡単な第三演習。それから研究室に戻って某推敲の続き。眠くなって一瞬気絶。
夜中、某推敲の続き。諸事情でアヴィニョンに行ったときのことを思い出す。写真が残っているが、ミルの墓の写真は本当に撮れなかったんだっけ?
夜中に自転車で帰宅。少しネコの相手をしてからシャワー。
少し某翻訳のチェックとスイッチなど。