え、こだまの世界?

A day in the life of...?

某委員会、学会員減少対策について考える、また抜き書きなど

遅めに起き、食器を片付けてネコにエサをやってから二度寝。ゆっくり起きる。

午前中は某翻訳チェックとスイッチ。ヴァイスマンの哀れな末路に少し泣く。

お昼を食べないと。

 

お昼すぎ、少し遅めに蕎麦と納豆など。朝食を抜いてしまった。

昼下がり、某オンライン委員会。ちょうどウトウトとしたところで名前を呼ばれて飛び起きる。

 

学会員減少対策について考える

「学会員数の減少の問題だが、どこまでが少子高齢化の影響で、どこからが当該領域の不人気のせいなんかな」

「どうなんでしょうね。会員が増えている学会もありますからね。研究者になる大学院生の母数の推移を調べる必要がありますね」

「なんとか会員数を増やす方法はないのか」

「そうですねー。学会が魅力的になるしかないんじゃないですか。ほうぼうに宣伝したりして」

「なんかどの学会も将来構想委員会のようなものを作り始めているようだからな、どこも大変なんだろうな」

「あ、良いこと思いつきました。新規学会員の推薦者になるたびに、学会費を減額するというのはどうですか。スマホの友達紹介みたいな」

スマホの友達紹介というよりは、マルチ商法じゃないのかね、それは…」

 

夕方、もう少し某翻訳チェックとスイッチ。今日はやりすぎた。

 

また某先生の抜き書き。

現代における哲学研究の目的は、人類が共有すべき原則は何かを明らかにし、応用倫理学が現在提起している諸問題に対処することである。〔クローン人間の産出は人間の尊厳を侵害することになるか、核廃棄物の処理施設の今後1000年間の安全性を工学的設計によって保証することはできるか、など〕このような問題こそ哲学理論の本当に試金石であろう。

先端技術に関連する問題を考えると、過去の倫理学説のどこにも類例がないことが多い。たとえば「代理母」「サイボーグ人間」「クローン人間」などの倫理問題の解答を、伝統的倫理学のテキストのどこを探しても類例がない。応用倫理学の方が、倫理学のより根本的な問題を扱っているという逆転現象が起こっている。

 

加藤尚武「日本での生命倫理学のはじまり」加藤尚武著作集9、386-7頁

こういう文章を見ると、某先生が「応用倫理学」にずいぶん期待していたことがわかる。今は応用倫理学ではなくELSIという言葉が使われているが、新しい科学技術がもつ、本質的な哲学的な含意を切り出してこないといけない。

 

夜、夕食。少しだけ中国版の『三体』を見る。

夜中、少しメールの返事。マンガ。