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「日本の生命倫理学の現状と展望」趣旨説明

以下は、昨年(2023年)12月17日に京都大学で行ったシンポジウム「日本の生命倫理学の現状と展望」(もともとは「生命倫理はオワコンか」という名称だった)の冒頭で、私が趣旨説明したものを文字起こししてもらい、少し手を入れたもの。このブログに掲載するに当たり、少し匿名化した。私の問題意識がよくわかるので、ウェブで公開しておく。提題者の発表や、質疑応答の内容は近々某報告書に掲載される予定。

 

児玉:それでは定刻になりましたので、シンポジウムを始めたいと思います。
  本日、「日本の生命倫理学の現状と展望」ということで、18時までのシンポジウムになります。どうぞよろしくお願いいたします。
  最初に、私のほうから簡単にあいさつと趣旨説明をしたいと思います。本日のプログラムにありますように、私がお話したあとに、某先生らが報告予定です。
  さっそく私の話に参りたいと思います。趣旨説明について、どうやって話そうかなと思ってたんですけれども、生命倫理学を島に喩えて、今回のシンポジウムの問題意識を話してみたいと思います。
  島というのは、以前、ELSIという言葉をひっくり返すとISLE、つまり小さい島という意味になるというので、ISLEという名称で、某先生たちと一緒に研究していたことがありました。この島というのは比喩としていろいろ考えさせられるところがあると私は思っております。つまり、学問をある種の島として考えるということです。
  そこで、生命倫理学という分野を「生命倫理島」というふうに考えますと、これは非常に学際的な島であると。アメリカの生命倫理百科事典を見ますと、ライフサイエンスとヘルスケア、つまり生命科学と保健医療の道徳的側面についての学際的な環境において、さまざまな倫理的方法論を用いて体系的に研究する学問だというような定義があるかと思います。そういう定義の生命倫理の島みたいなことを考えるということです。
  この生命倫理島というのは、ほとんどの住人は他の島からやってきた人たちであって、学際的なので医学や法学だとか哲学・倫理学だとか、そういう他の島からやってきた人が多いんじゃないかと思います。生命倫理島で育つような人も今日では出てきているわけですけども、日本においては非常に少ないというふうに考えられます。生命倫理島は、伝統的には医療倫理島とか、医の倫理島とか、そういう呼び方もあったと思いますけど、今日ではそれがあんまり気にせずに使われているんじゃないかと思います。
  ここで自分について考えてみますと、私はおそらくその比喩でいうと、哲学・倫理学島から来て住み着いた—今も住み着いているかわからないですけれど—人だというふうに理解しています。2003年から2012年に東京大学の医療倫理学の教室で研究をしておりましたが、その時の某教授は今はもう名誉教授ですが、その時に生命・医療倫理教育研究センター(CBEL)を設置しました。
  そこで何をやっていたかというと、グローバルCOEプログラムなどをいただきながら、当時は哲学研究者、法学研究者などが10名近く在籍するような状況で非常に活気があってよかったと思うんですが、研究倫理、臨床倫理の人材育成を行ったり、自分自身の研究を行ったりしていました。生命倫理の教科書なんかも作っていました。
  そして2012年からは哲学・倫理島に戻ってきたというか、こちらの京大の倫理学講座のほうに准教授として着任しました。考えてみますと、10年ほど生命倫理島にどっぷり漬かっていたように思います。現在は島を行ったり来たりしているというイメージかなと自分では思ってます。
  さて、次ですが、生命倫理島の発展ということを少し考えてみたいと思います。1970年代以降、今の文科省、かつての文部省で組み替えDNAの規制等があって、それも日本の生命倫理が始まった一つだというふうに言われています。
  80年代の体外受精研究に伴う研究倫理委員会の整備だとか、あるいは80年代・90年代の脳死臓器移植の議論、90年代の安楽死の議論で国民の関心が非常に高まったという状況があったかと思います。インフォームド・コンセントの話もこの過程の中で出てきたかと思います。
  88年に日本生命倫理学会が設立されます。90年代の終わり頃—このあたりぐらいから私もようやく自己意識が目覚めて生命倫理の研究をするようになったんですけれども—クローン羊のドリーとか、ES細胞の樹立などが行われて、その後2000年頃から相次いで、いわゆるミレニアムガイドラインと呼ばれる研究倫理のガイドラインが作られていきました。疫学倫理指針とかゲノム指針、臨床研究倫理指針等々です。国際的には、その頃にEmpirical BioethicsとかPublic Health Ethicsなども始まっていたかと思います。ここでは国際的な動向と一緒には歴史を辿っておりませんけども、日本の生命倫理島を考えると、こういう事件が起きていただろうと思います。
  大雑把でたいへん恐縮ですけれど、その続きで、2003年には個人情報保護法ができて、この年にちょうど東大のCBELができたんですけども、あとから考えると、さきほどのミレニアム指針等も含めて、この頃から医療倫理学とか生命倫理島における研究倫理の比重が非常に大きくなっていったというふうに私は考えております。若手の多くも、人社系の研究者も含めて、結構実務に流れたんじゃないかという、現在にも続く流れがあるんじゃないかと思います。これはよかれ悪しかれのところがあり、就職できるというのはいいんですけども、就職してほんとに自分のしたい研究ができているかというのは、あとで某先生にもお話しいただきますけど、ぜひそのあたり、本音を聴かせていただければと思ってます。
  私自身は、研究倫理は幸いというか能力がなくてやらなくて、むしろ治療中止がこの時期、医療事故や異状死の問題でかなり問題になっていたので、治療中止とか安楽死など、終末期医療の研究を非常に関心あってやっておりました。あと、新しくできたSPH (School of Public Health)で、公衆衛生倫理の研究をすることになって、研究倫理は幸か不幸か、今もあんまり研究せずにきております。
  そして、2008年には日本看護倫理学会ができて、ある意味、看護倫理島というのが独立してできたと言えます。さらに、2012年には日本臨床倫理学会が設立されて、これも臨床倫理島というのが新たにできたと考えられます。
  個人的には、日本看護倫理学会はできてからわりと経ってからその存在を知ったんですけども、臨床倫理学会ができた時は少し驚いて、生命倫理学会があるのに臨床倫理学会というのが新たにできるのか、という風に思いました。生命倫理がさらに専門分化して、だんだん分裂していくというフェーズに入っていたのだと今からは思うところであります。
  あとでまた説明あるかと思いますが、某氏たちが書いた日本生命倫理学会30周年記念の論文から少し紹介いたします。生命倫理学会は生命倫理島そのものではないんですけども、一つの例として、生命倫理学会の会員数がどうなっていったかというのがこの論文できれいにまとめられています。
  これを見ますと、これまでのところ会員数は2002年、2003年ぐらいがピークで、その後漸減しています。現在1,160名ということになっています。まだ急激に減ってはいないんですけども、ちょっと危機感を持たないと、今後増えていかないんじゃないかという気がします。私はわりと島好きなんで、小豆島とかも行ったんですけど、小豆島は結構、町起こしっていうか島起こしに成功してるみたいですけども、全体的に日本の島の人口は減っている。島だけじゃないんですけども、それと同様の問題を生命倫理島も考えないといけないと思います。
  さて、その後の生命倫理島の発展ということで、駆け足になりますが、ヒトiPS細胞が樹立されて、CiRAが2010年にできて、CiRAの上廣倫理研究部門というのも設立されます。
  2014年には再生医療新法ができ、それで倫理委員会に関わる人たちが余計多くなったんじゃないかと思いますけども、そういうことがあります。
  ほかにもいくつか法律がありますけども、ちょっと飛ばして、2014年にはSTAP細胞騒動のことがあって、研究公正が非常にクローズアップされたということがあると思います。研究公正が生命倫理とか研究倫理の一部なのかという問題もあると思いますけど、こういうことも生命倫理に期待されるようになった。このように、警察的な役割として倫理が考えられるということも引き続きあるのではないかと思います。
  2015年にはAMED(日本医療研究開発機構)もできまして、ここから研究費をもらいながら生命倫理の研究をしてる人も多いかと思います。AMEDにも研究公正の部署がありますし、ここも医療倫理、生命倫理を進めようとしてたとは思うんですけど、どのぐらいその役に立ったのかということも、本日もし関係の方がいらしたら後ほどコメントしていただければと思います。
  次に参ります。私は生命倫理島がたそがれ時を迎えている気がしているのですが、そう思う一つの出来事として、あとから考えたら、かなり痛恨だったんじゃないかと思う出来事がありました。一時期、科研費で生命倫理学が時限付きの分科細目だったことがありました。これは、平成23年から25年、つまり2011年から2013年でしたけども、この時、当時の生命倫理学会の学会長の某先生が「これは、みなさんが絶対申請書を出して恒久化しなきゃいけない」と言っていたにもかかわらず、私は哲学とか倫理学の分野で出した方が当たる確率が高いからと思って、あんまり協力しなかったんですけども、結局、恒久化に失敗して、研究費を取るリソースの一つがなくなってしまったんじゃないかなとあとから思います。だから、これが生命倫理が失速する一つの理由になってしまったんじゃないかなというふうに思っています。
  さて、だいぶ話が飛びますけども、生命倫理島のたそがれ時を告げる他の出来事として、たとえば2020年以降のCOVID-19パンデミック生命倫理のプレゼンスが低かったということがあります。頑張ってた人もいると思うんですけども、そのように批判する人もTwitter等でいました。さらに、第6期の科学技術・イノベーション基本計画の中で、ELSI(Ethical, Legal and Social issues:倫理的・法的・社会的課題)が重視されるようになったということがあります。ELSIというのは、もちろんヒトゲノムの解析研究から出てきたものではありますけども、現在、私から見ると、ELSI島という一つの島として独立しつつあるように思います。こういう経緯があり、今日、生命倫理とか医療倫理への関心が、若者も含めて相対的に減ってきているのではないかっていうのが、心配なところであります。
  ここに「ELSI島の発展」と書いていますけども、現在、JST科学技術振興機構)のRISTEX(社会技術研究開発センター)でRInCAというプログラムが走っています。これは先ほどの第6期の科学技術・イノベーション基本計画にのっとったもので、結構研究費があって研究者が集まっている分野と言えます。
  ELSIというのは、もともと生命倫理の一部じゃないかというふうに思われる方もいると思います。ですが、現在は新興の科学技術一般についての倫理的・法的・社会的研究だということになっており、あんまり生命倫理と関係のない分野にもたくさん研究者が集まっていて、ELSIという領域と生命倫理という領域はかぶるところもあるけども、かぶらないところもかなりあるようになっていると思います。それで、どっちかっていうとELSI島のほうに国の研究費が落ちて盛んになりつつある、人が集まりつつあるというのが私の認識です。今日、ELSIのセンターがいろいろな大学で作られているというのもご存じのとおりかと思います。
  最後に、生命倫理島の課題としましては、生命倫理関連の法律というのがあまり作られていないことがあります。もちろん最近、ゲノム医療法が作られたり、臨床研究の法律等ができたというのはありますけども、生殖医療とか終末期医療に関する法律があんまり作られていない。生殖補助医療法というのも非常に限定されたものだということがあるかと思います。また、内閣府生命倫理専門調査会も所掌が狭くて、ヒト胚に関わるものだけで、法律を作るに当たって生命倫理に関する全体的な検討がなされていない。日本学術会議もいろいろな事情で低調なのではないかと思うわけです。
  ですので、生命倫理島というか、生命倫理学の領域というのは、アカデミアの責任だけではないと思うんですけども、政策立案に必要な関心や人材が不足しているのではないか。あるいは、そのような議論をするためのフォーラムがないのではないか。生命倫理学会も十分にその受け皿になってないのではないかという気がしております。
  また、ほぼ手付かずというか、海外では生命倫理学者がやっている領域で、まだあんまり進んでない領域もたくさんあるかと思います。たとえば医療資源の配分(HTA)の倫理、有事の倫理(感染症、災害時の倫理など)、AIと医療の倫理、ジェンダー(LGBTQを含む)と医療などです。それに、詳しくは言いませんが、生命倫理学領域における日本の国際プレゼンスの低下が見られるのではないかと思います。たとえば、ゲノム編集の国際会議で、イギリス、米国、中国中心で、なぜこの中に日本が入ってないのかということも考えさせられるところであります。今度シンガポール国立大学(NUS)にピーター・シンガーが客員教授として異動して来るらしいですけども、たとえばアジア圏でもシンガポールや他の国のほうが生命倫理の研究や政策が進んできているようにも思われるところであります。
  日本の生命倫理島はこれからどうなるのか。これが、このシンポジウムの趣旨であります。もう生命倫理は「オワコン」じゃないかという意見もあるかもしれません。本当にそうなのか、むしろ島起こしによってこれから再活性化するのか。こういう問いについて、そろそろ真面目に考えておいたほうがよい時期ではないかというのが、今回のシンポジウムの趣旨になります。
  このような形で本日、まず某先生から25分で発表、5分間質問という形で進めていこうと思います。私自身の話については質問を取りませんけども、このあと、ぜひZoomの参加者も含めて活発に議論していただければと思います。
  じゃあ、早速ですけども、某先生のお話にいきたいと思います。よろしくお願いします。