え、こだまの世界?

A day in the life of...?

某学会二日目、ELSIと哲学史など

少し遅めに起床。朝風呂。ニーチェとか。シリアル、朝刊。

朝、バスを乗り継いで大宮の某大学へ。少しだけ遅刻。午前中からきちんと質問。

お昼、某新委員会。無事に終了。コンビニでおにぎりなど。

お昼すぎから夕方まで、ELSIと倫理学についてのシンポを聴講。途中少し気絶したとはいえ、最後まで拝聴し、質問もするほどおもしろかった。少し下に対話篇を書いておこう。

夜、会場のそばの鉄板焼屋で食事。一件、めでたい話が。

夜中、帰宅して少し食事。それからスイッチスポーツ、風呂。プラトンニーチェ

ELSIと哲学史(えるしーとてつがくしー)

ソクラテス「カイレフォンよ、何をいったいそんなに怒っているんだね」

カイレフォン「聞いてくださいよ、ソクラテス。今日、アゴラに行ったら、哲学者たちが議論をしていましてね。ELSIを研究するような哲学者は、魂を売った輩だと大声で言う者がいたんですよ」

ソクラテス「それはどういう意味だろうね」

カイレフォン「その者に言わせると、哲学者は知を愛し、ELSI研究者は金を愛するのだと、こういうわけです」

ソクラテス「なるほど、それはうまく言ったものだね。しかし、それは本当だろうか」

カイレフォン「どういうことですか」

ソクラテス「『哲学者が知を愛する』というのは一見すると分析的に真ではないかと思われそうだが、いったい、その場合に哲学者は何をするんだろうか」

カイレフォン「それは、哲学史、たとえばカントやミルの哲学を研究するのではないでしょうか」

ソクラテス「そう、しばしば哲学史を研究しているのだろう。しかし、カイレフォンよ、哲学者はなぜ哲学史を研究するのだろう。それは、それ自体のために研究するのかね、あるいは、何か別の目的のために研究するのかね」

カイレフォン「それはどういう意味ですか、ソクラテス

ソクラテス「つまり、こういうことだ。アリストテレスもよく言うように、ある目的が別の目的の手段であるような場合と、それ自体がもう終局の目的であり、さらなる(ulteriorな)目的がない場合があるだろう。具体例は長くなるので省略するが」

カイレフォン「なるほど、そうですね」

ソクラテス「すると、どうだろう。哲学者が哲学史を勉強するのは、優れた哲学史研究者になることが最終の目的だろうか、それともそれは手段であり、哲学史研究を通じて優れた哲学者となって、現代の人々が直面している問題に取り組むためだろうか」

カイレフォン「それはソクラテス、私には後の方であるように思えます」

ソクラテス「そうだろうそうだろう。若い人が哲学史を研究しているのを見ると、わたしは感心してしまい、その年頃にふさわしいことをしているなと感じる。そのような人間には、何か自由人らしさみたいなものがあると思うのだ。これに対して、その年頃に哲学史を研究しない人間は、自由人らしさというものがなく、偉大で崇高な仕事を成し遂げるに足る人間という自負に欠けていると思ってしまう。だが、いい大人がいまだに哲学史をしていて、そこからいっこうに離れようとしないのを見ると、これはもう殴り飛ばさずにはすますまいぞという気持ちになるのだよ、ソクラテスさん、そんな野郎はね!」

カイレフォン「ソクラテス! それはカリクレスのセリフですよ、光文社古典新訳文庫版の!」

ソクラテス「あ、しまった、台本のページを間違えた。とにかくあれだ、哲学史研究をしっかりやるのは立派なことだが、知恵を愛する哲学者としては、それだけに一生を費すのではなく、哲学史を学ぶ中で身に付けた思考法を用いて、ELSIでも応用倫理学でも応用哲学でも呼び名は何でもよいが、科学あるいはそれ以外の現実の問題に取り組むのが哲学者のあるべき姿だと思うのだよ」

カイレフォン「その通りですね、ソクラテス。あなたも他の哲学者の言動をよくご存知ですが、そのことをもって優れた哲学者であったわけではないですからね」

ソクラテス「そういうことだ。しかし、わたしのように虻だなんだと公言していると、それこそお払い箱になったり死刑になったりしかねないので、せいぜい気をつけたまえ」