定時起床。少しメール。シリアル、休刊。
早朝、娘をバス停まで送った後、歩いて大学へ。今日は研究日。午前中は某書の続きを読む作業。途中、Chromebookの修理を頼む作業もする。お昼は在庫のベジラーメン。
午後も某書を読む作業。昼下がりに一通り読み終わる(一応、二度読んだ)。明日書評を書くことにしよう。
夕方、少し某課題の採点をしてからバスで帰宅。某整骨院に行き、ゆらゆら、ばきっとしてもらう。だいぶ右足の調子はよくなった。近くの某イオンで買い物をしてから帰宅。
夜、夕食。食後、少しスイッチと娘の宿題の世話。
夜中、シャワー。少しメール。
『倫理学入門』に戻る。ロールズの原初状態における善の構想の話は、『倫理学の話』(品川2015)だと無知のヴェールは各人の善の構想にも及ぶと説明されているので(154頁)、『倫理学入門』ではちょっと省略しすぎでわかりにくくなっているということのようだ。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月8日
ついでだが、ロールズ『正義論』翻訳だが、20頁13行目の「しかも(but)彼らは」は「しかし彼らは」ではないと話がわからないだろう。合理的かつ相互無関心というのは通常の意味でのエゴイストを意味しない*が*、「お互いの利害に関心を寄せるものではないと見なされている」ということだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月8日
正誤表に載ってないようだから連絡しておくか。https://t.co/vhv3o1pB79『正義論〔改訂版〕』本文訂正一覧2019年4月.pdf
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月8日
第3章の「ひととひと」。ここからは『倫理学の話』には書かれていない話になる。市場の話は、市場の機能の説明、市場から除外される人、グローバリゼーションの話など。倫理理論に言及があるが、正直あまり効果的には思われない。これ以降、第2章までの話がどの程度効いているのか疑問がある。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月8日
「ケアの倫理は共同体主義のように自文化に限定されない。…実際、ヘルドは遠い地域の生産者との連帯を説いている」(131)。しかし、ノディングズは『ケアリング』ではアフリカの飢えた子どもをケアする義務はないと主張しているので、ちょっとつまみぐい感がある。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月8日
国家の話(3-2)も、政治哲学の話が大半で、それはそれで勉強になるが、カントの人間の尊厳の話を除くと、ほとんど第二章の倫理理論とは関係のない議論になっている。国家や移民の話は倫理的視点から現状維持を支持しているのか、改革を求めているのかわかりにくい。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
某PCはやはりキーボードが不調なので修理依頼の連絡をした。最近はウェブサイトから電話番号に辿りつくまでがなかなか難しい。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
戦争(3-3)の話。ここは少し正戦論に触れたあと、戦争責任(補償)の問題を主に論じている。ここでも倫理理論はほとんど顔を出さない。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
最後にロックの社会契約論に言及して、戦争責任を逃れたいなら他の国に移住することができるはずで、国からのサービスを受けているなら国家の負の遺産も引き継がないといけないという話は、「人々が他の国に自由に移住できるなんて本気で言えるのか云々」というヒュームの批判を取り上げてほしい。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
ページ数の制約もあるだろうが、ヒュームのそういう議論がすでにあることを紹介せずに、「この問題にはロックの議論が当てはまる」で終わると、(広義の)倫理理論から現実の問題を見直すという作業が中途半端になる感じがする。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
とはいえ、戦争責任のような話にまで踏み込んでいるのは高く評価できる
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
第4章「ひととその体」は基本的に生命倫理の話。1節と2節はときどき理解できないところがでてくるが、基本的に異論はない。ただ「患者の意志に焦点をあてると、薬物投与による死は積極的安楽死、治療しないことによる死は消極的安楽死」(181頁)は自発的・非自発的と作為・不作為の話が混在している。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
3節のクローン人間作製の功利主義的批判のところはかなり苦しい。まず、クローン人間はオリジナルの個体からの助言が「重い心理的な抑圧となりうる。Qに害がおよぶといわざるをえない」とあるが、だからといってクローン個体として生まれない方がよかったとまでは言えない。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
これだと、長島茂雄のところに男の子が生まれると、父親と比べられる重圧が危害になるから、(少なくとも)男の子を生んではならない、ということになる。しかし、その重圧が仮に不可避な危害だとしても、子どもが明らかに「死んだほうがまし」な人生を歩むことが明白でなければ、生むことは禁じられない
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
という例は用いていないが、ジョン・ハリスのOn Cloning第3章やホープとダン『医療倫理超入門』第4章などを参照。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
もう一つ、クローン個体はテロメアが最初から短いから早世するという話だが、ドリーが関節炎で早死にしたのはクローニングそのものの問題ではないというのが現在の理解になっていると思うので、この議論も苦しい。https://t.co/H5i9o6CQsa
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
また、仮にクローン個体が早世するとしても、クローン個体は危害を*受けていない*点に注意しないといけない。もし、健康な受精卵に手を加えることによって障害を与えたとしたら、危害を加えたことになるが、クローン個体はそのような仕方で危害を加えられていない。ここはパーフィットの話。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
第5章「ひととひとではないもの」は環境倫理学と人工知能や宇宙人が問題になっている。212頁の「種差別」のルビ「スピーシズム」は「スピーシージズム」だろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
(功利主義警察より)
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
5-1「人間の外なる自然」はとくに異論なし。ここは比較的普通の環境倫理の話。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
ほとんど誤字脱字がないなと思っていたが、231頁に「こそ看護の中核だと指摘する。」が二度出てくる派手な誤字があるな。こういうのは派手すぎてつい見逃してしまうんだろう。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
5-2「ひとが造ったもの」。人工知能、ロボットの話。とくに異論はないが、なんかぼんやりしている感じがする。「これが問題だ。それに対する私の主張はこうだ。その根拠はこうだ。それに対するこういう反論があるが、これについてはこう考える」的な書き方ではないからか。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
5-3「星界からの客人との対話」。ユートピア論的な伝統を感じてよい対話だが、第6章(最終章)で出てくる「審級」の話とのつながりはそれほど良くない。「新たな審級に自分をさらすこと、自分の思考のなかに他者の視点を想定するように触発するためである」(263頁)。これが倫理学の役割の一つとのこと。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
「「xはよい」という判断は「xはいつでもどこでも誰にとってもよい」を含意している」(259頁)は、ちょっと言いすぎだろう。わたしが「このiMacはよい」と言ったとしても、それがコンピュータをまったく使えない赤ちゃんにとってよいということを含意しているとは思えない。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
9頁や36頁にも同じ話が出てくるが、この「普遍妥当性要求」というのが何なのか、もうちょっと説明する必要があるな。と思ったら、『倫理学の話』にも出てくる。こっちでも「いつでもどこでも誰でも」という話になっているな。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
あとがきは置いておくとして、これで一通り読んだので、忘れないうちに明日にでも書評を書くべし。
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
ご教示ありがとうございます。 https://t.co/31ejbAUhwJ
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日
久しぶりに聴くと良いな https://t.co/rlUvuOIPwx
— 児玉聡 (@s_kodama) 2020年11月9日