合理性についてのメモ。宗教が理性に反するという場合は、科学的な合理性を問題にしている。道徳が理性に反する場合は、自己利益に関する合理性を問題にしている。道徳に従うのは集団としては合理的、個人としては不合理(な場合もある)。とすると、道徳についても、「不条理なるがゆえに我信ず」と言うべきか?
「あの人ったら、まだ道徳なんて信じているの。不合理だって示されたのに…」
「しかし、君もわたしも、なんらかの道徳を信じないわけにはいかんのだよ。これからする約束を守るかどうか、不倫をしないかどうか、なんらかの指針を持たざるを得ないだろう」
「それは利己心から発する行為指針であって、別に道徳じゃないんじゃないの」
「いや、それが自分と他人の平等という考えから普遍的な指針となるんであって…」