え、こだまの世界?

A day in the life of...?

いろいろメモ

以下、思いついたことを書き散らす。

自然と人間

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

『J・S・ミルと現代』の「自然と人間」の章を読む。おもしろい。

社会の発展のボトルネックになるのは何か。食糧増加が人口増加に追いつかないかどうか。マルサスは有限の土地からの食糧生産は人口増加に追いつかない、エンゲルスは技術によってなんとかなると考えていた。戦後も第三世界人口爆発が問題になっていたが、現在では環境問題の方が深刻とされている。つまり、食糧生産が追いつかずに人類の多くが飢え死にするのではなく(あるいはそれだけではなく)、人類の活動に負荷に地球が耐えられずに人類全体が滅ぶというストーリー展開だ。

「労働貧民すなわち人民の多数がもっとも幸福でもっとも安楽であるように見えるのは、社会がその富を十分完全に得たときよりも、むしろそれがすすんで富を得んとしておるとき、すなわち進歩的状態にあるときである。社会が停滞的な状態においては、彼らの生活は困難であり、退歩的な状態においては悲惨である。進歩的な状態は、実際において、社会のあらゆる階級にとって愉快な楽しい状態である。停滞的なのは活気がなく、退歩的なのは憂鬱である」(116頁、スミス国富論からの引用)

まさに高度成長、バブル、90年代のバブル崩壊後の経済低迷について述べているような文章だな。トリクルダウン。阿片としての経済成長。

ミルが予期した定常状態(経済発展は止まるが、人類の進歩は止まらない)はまだ来ない。なぜか。(他人よりも)豊かになろうとする人間の欲求は止まらないからだ。先進国における(絶対的)貧困もなくならない。なぜか。いったい、貧困はそもそもなくなるものなのか。

研究者と活動家

「彼(女)は活動家であって研究者ではない」。研究者と活動家を分ける特徴は何か。活動家は疑いえない目的があり、それを実現するための方法を考える。研究者は目的を疑い、それを正当化するあるいは論駁するための方法を考える。対立する議論の交通整理を行うのも研究者の仕事だ。

しかし、シンガーのような哲学者はどう考えるべきか。一般に、倫理、政治、公衆衛生などの実践的な研究領域では、ある目的を正しいと仮定し、それを実現するための方法を提言するか、場合によっては実行に移す努力をする必要があるのではないか。研究者兼活動家でなければならないか、あるいは少なくとも「理論が実践に関して何の影響も持たない」と言わんばかりの態度で研究をすべきではないだろう。

the Panopticon prison, `a mill for grinding rogues honest and idle men industrious'

日本の高等教育は博士の粗製濫造を行っている気がして仕方がないのだが、まあみな近いうちにパノプティコンに入ってもらって社会的に有為な人材になってもらおう。「できの悪い博士・ODを社会復帰させ、高学歴ワーキングプアを有為な人材にする」。ははははは…