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〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

知識人たち

多くの知識人にとって、戦争はまさに悪夢であった。それは、崇高な理念が表面的に賛美されていたのと裏腹に、恐怖と保身、疑心暗鬼と裏切り、幻滅と虚偽がないまぜになったものであった。他者への信頼と、自分自身の誇りが根こそぎにされるようなその体験は、しばしば屈辱感と自己嫌悪なしには回想できない、お互いに二度と触れたくない傷痕として封印された。だがこうした悔恨の記憶は、戦後思想における、重要な底流となってゆくことになるのである。(50頁)

オレが戦中に研究者だったらどうなってただろうかと考えただけで、暗鬱な気分になる。小林多喜二(「赤黒い内出血は陰茎から睾丸に及び、この二つの物が異常にハレ上がっていた」46頁)や、三木清(「監獄での悪待遇と不衛生のため、皮膚病と栄養失調を併発して1945年9月に獄死した」46頁)のように死ぬよりは、おそらく転向に転向を重ね、友人みなを「自由主義者だ」「赤だ」「功利主義者だ」と売り飛ばし、戦争を賛美する論文を次々と公表し、、いやいや。そんなことはしません。清水幾太郎のようにビルマ戦線で従軍作家をやります。

その他メモ。「大衆性に対する本能的嫌悪と国軍の非科学的組織に対する不満」(52頁)。「体力に劣る学徒兵は、極限状況において、自己の行為を論理で正当化する傾向があった。それにくらべ、素朴な義理人情を行動原理とする下層出身兵のほうが、倫理的な行動をとる場面もあった」(55頁)。

こうした「民衆」ないし「大衆」との出会いは、第一の要素であった「科学」志向とも結びついた。下層出身の兵士たちが自分たちを憎悪し、リンチにかける事態に直面した学徒兵たちは、そうした事態を招く日本社会の階層格差や、民衆の意識構造を分析する必要を感じていった。このことは、丸山真男大塚久雄をはじめとして、日本の社会構造と意識構造の関連性を分析する思想が戦後に輩出する背景をなす。
同時に学徒兵たちは、西洋の哲学や思想には通じていても、日本社会の状況を知らなかったことを痛感させられた。大学で論じていたヘーゲルやカントの哲学を、日常経験を分析するために応用する訓練を欠いていたことも、身をもって実感した。この経験は、西欧の理論を単なる知識として学ぶのではなく、日本社会の現状を分析し、変革してゆくための社会科学にまで鍛え上げることの重要性を認識させた。
(55-6頁)

なるほど。戦後思想を理解するためには、その前史が重要だとわかった。また、アカデミアと現実との対峙というテーマも非常に切実に感じられている時期があったことがわかった。後者の点については現在と対比しつつもうちょっとよく考えよう。