え、こだまの世界?

A day in the life of...?

久しぶりに松下圭一

現代政治 発想と回想

現代政治 発想と回想

さっさと読んでしまおう。

講壇法学批判

政治学憲法学、行政学行政法学が、日本ではこれまで、戦前の新カント派による存在と規範の二元論からの安易な影響もあって、それこそ水と油の不毛かつ不幸な関係だったことを想起すべきでしょう。この存在と規範の二元論こそがマチガイでした。102-3頁

新カント派のことがよくわからん。最近、気になるのでそのうち調べること。とにかく、記述と規範、サイエンスとアートの間に溝があったようだ。

政策法務」とは、自治体、国、国際機構いずれの政府レベルをふくめて、ひろく政策開発の「法制化」という、立法ないし法運用を意味します。この立法論・運用論中心の〈政策法務〉は、従来型の解釈論を中心とした〈訴訟法務〉とは視角が異なります。93頁
日本の講壇法学では、明治国家以来、国法をつねに「正法」とみなす解釈学中心にとどまってきたため、「悪法」を改革するため、政治がたえず新たに法をつくるという、市民の〈社会工学〉としての「立法学」の構築が、とくに緊急課題となっています。103頁

どうでもいいが、講壇というのはアカデミックと同じ意味でいいのかな。

裁判を前提とする訴訟法務の解釈型思考と、政策法務として結実する制度型思考とが、いかに思考型としてちがっているか(中略)。とくに、この基本論点にとりくまなかった戦後日本の法哲学法社会学は、ケルゼン、ラードブルッフ(ママ)など規範・存在二元論のドイツ新カント派系法理論から充分解放されていなかったこととあいまって不毛となり、現場の法務には役立たずで、失敗だったと思います。105頁

倫理学も同じ批判が向けられてしかるべきだよなあ。古典の解釈に明け暮れるばかりで、指針を示すに至っていない云々。

不幸にも、日本では憲法学と政治学の関係は、(中略)、水と油のように規範論理と実証論理という二分化された発想がつづくため、とくに『日本国憲法』が一応の制度安定を見る1960年代以降は憲法学と政治学は著しく没交渉となり、双方とも理論として不毛におちいっていきます。114頁

真偽はともかく、老先生になると、このようにぶった切りにできるんだなあ。オレもがんばって早くこの境地に辿りつこう。

日本の理論家は、時論は別として、これまで「科学」の名において、いわば意図的に、〈事後〉の実証・検証の思考訓練のみにとどまろうとしてきたため、今日のような転型期に不可欠となる、市民として、あるいは理論家としても、もつべき〈事前〉の予測・調整、組織・制御あるいは構想・選択への思考訓練、つまり実効性をもつ政策・制度を開発・実現する思考熟度と責任意識をうしなってしまったのではないでしょうか。120頁

生命倫理分野でも、「学問か、運動か」という二分法があり、政策立案という選択肢がない。サイエンスとアートの連続性を考えること。

とくに、(1)古来からの「子曰く」という聖典訓詁学の伝統、(2)戦前から日本に強い影響力をもったマルクスウェーバーはいずれも政治熱狂家でしたが、日本でのマルクスの歴史客観性、ウェーバーの禁欲客観性という理論設定についての誤解、(3)戦後はさらに現代アメリカの科学主義への過剰同化が、日本の社会理論を不毛にしてきたことを、ここで強調しておきます。121頁

訓詁学。解釈するの好きだもんなあ。何でも知ってるのがえらいと思われてるもん。失敗を恐れぬ実験的精神が足りないのかもしれない。解釈じゃなく、改革することが大事、、、というと、運動家と呼ばれて大学から追放される。解釈も重要、だけど終局の目的は改革すること。

研究なき実践は運動、実践なき研究は講壇。

「現代知識人」がすべきことは何か。

たしかに、理論家は政治家と異なって理論家にとどまるかぎり、いわゆる無力で、現実を動かす政治資源としての「権限・財源」は直接もちません。だが、(中略)理論家は、予測・調整、組織・制御ないし構想・選択のための課題と仮説を、理論としてつねに準備・公開しておく必要があります。日本も先進国段階にはいるためには、翻訳理論家や引用理論家が権威をもつ、かつての後・中進国段階と異なって、市民個人として、このような政治責任が理論家にも問われていくことになります。123頁

老先生の言うとおり。しかし、そんなことができる研究者は少ない。どうやって増やしていけばいいのか。

官僚内閣制批判

私は、(中略)、『日本国憲法』の制定にもかかわらず、その国民主権は〈国家主権〉にいったんもちあげられ、戦後50年にわたる政治・行政の中枢は戦前と同型の「官僚内閣制」と位置づけました。110頁
日本の国会の「最高機関」という位置は、講壇憲法学によれば、今日も「政治的美称」にすぎません。21世紀日本の憲法学、行政法学がいかに後進国型にとどまるかは、17世紀のロックはともかく、19世紀イギリスのベンサム、ミルやバジョットの議会中核理論と対比してください。日本の国会・内閣の関係は、決してイギリス型の議院内閣制ではないということが理解いただけるでしょう。112頁

このあたり、もっと勉強して本当に「対比」してみないといかん。
憲法理論批判については、176頁以降の「市民立憲からの憲法理論」も参照のこと。

あとがき

政治のみならず、ひろく社会、経済、あるいは文化をめぐって、実証・検証型の個別理論が中心となるとき、理論の生産性・実効性の基礎となる「一望性」ついで「総合性」を欠如させていく。さらに、この理論の〈生産性〉ないし〈実効性〉をめぐっては、現実の再構築をめざした政策・制度改革論への深化こそが不可欠となる。
1970年代頃からのアメリカへの大量研究留学もあって、アメリカ系の社会理論ないし政治学が日本で主流となっていくのだが、実証・検証どまりという、そのサイエンス型発想だけでは、〈条件純化〉から出発する「自然」科学と異なって、〈条件複合〉の「社会」、とくに政治について、ミクロ・マクロのいずれでも不完全情報しかえられない。このため、政治については、実証・検証が実質不可能という限界をもつことを、つねに再確認すべきであろう。
もちろん、実証・検証は不可欠なのだが、同時に実証・検証だけでは「ムダ骨」だという緊張感覚をもちたいと思う。むしろ、現実課題の解決をめざすため、「役に立つ」政策・制度改革への《構想》のなかではじめて、実証・検証が活きた生産性・実効性をもつという、思考方法ないし思考訓練が不可欠といってよい。193-4頁

science for science's sakeではダメということだ。しかし、一方で、政治的アジェンダに左右されない、バイアスのかからない客観的研究をしなければならないという事情もあって難しい。

ここで、留意いただきたいのは、私の20歳代のヨーロッパ政治思想史研究の延長線上に、その後の日本政治研究、ことに自治体改革の構想があったのではないことである。本書第1論考にみたように、私は30歳前後から《自治体改革》を起点に日本政治の《構造改革》にとりくんだが、これはヨーロッパ政治思想史研究とサヨナラ、つまり断絶したうえではじめている。
日本の政治についての研究には、新たに日本の政治家、政党職員、また政治ジャーナリスト、ついで官僚、自治体職員、また経営者、法曹の方々、とくに1960年代から日本で新しく登場する市民活動の方々との交流ないし討議のなかから、既成政治・社会理論の批判をおしすすめ、理論の再構築をみずからの課題としていった。いわば、「書物」からはなれる、あるいは「研究室」の外に出るという、私自身の〈生活スタイル〉、いいなおせば《経験》の再編が不可欠であった。事実、大学でも研究室をもたないようにしてきた。
外国研究の「延長」ないし「応用」という考え方からぬけでて、私は日本の文脈ないし課題に直接とりくみ、そこから再出発している。外国モデルの日本へのアテハメでは、戦前から今日もつづいているような、理論不毛となってしまう。
194-5頁

なるほど、老先生はアウトローというか、半分「在野」の研究者として過ごしてきたんだな。道理で講壇(≒東大)法学・政治学に対する毒舌が冴えるはずだ。デカルトのようでかっこいい。この生き方によって、日本の実践に即した実用的な理論を作ってきたわけか。
しかし、その一方で、その生き方のために、老先生は政治学の主流になることがなかったのかもしれない(よく知らないが)。また、多くの人に影響を与えつつ、老先生の影響力に匹敵する弟子を育てることはできなかったのかもしれない(これもよく知らないが)。
研究者としてどう生きるかというのは本当に難しい問題だ。『方法序説』でも読んでよく考えなければならない。この本は老先生の思想の全体像を知るためだけでなく、そのことについて考える上でも、非常にためになる本だった。名著。