え、こだまの世界?

A day in the life of...?

届いた本 (知政学のすすめ)

知政学のすすめ―科学技術文明の読みとき (中公叢書)

知政学のすすめ―科学技術文明の読みとき (中公叢書)

米本先生研究の一環として。

この日本では、生物学や医学と社会との間に生じる諸問題を、広い意味で政治の問題として扱っている研究室が異様に少ない(…)。これだけ自然科学の社会的倫理的問題が重要であることが繰り返し力説されながら、なぜこの領域の研究者人口が少ないのか。その大きな理由は、日本のアカデミズムが、広義の政治というものを心底嫌悪し、生理的に忌避し続けたことにある。政治はダーティーで危険な世界であり、これに関与しないのが真の研究者であり、それが学問の中立を保証する道だと、いまだに信じているようなのである。個人的動機としては、自分はそのようなことが不得意であるがゆえに研究者という道を選んだ、と信じている人たちが圧倒的に多いのである。学問としての格も、原理論を扱う基礎研究の方が高級であり、応用や社会的解決をめざす研究は二流という価値観が、日本のアカデミズムには塗り込められている。(10頁)

なんでそうなったんだろう。京都学派? 大学紛争でそういう人はパージされた?

あと、バイオエシックスは二つの点でハンデを負っている。哲学では二流の学問と見られていること。上のアカデミズムの「非実践性」の問題を抱えていること。

あ、米本先生は次のように言ってる。

明治19年の「帝国大学令」によると(…)、まず第一に、法学・医学・工学・農学という近代国家建設にとって必要な実学と、他方で理学や社会科学という自然や世界の基本原理を考究する、反俗的な学問と二種のものが、大学という傘の下で育まれてきた(…)。
こうして日本の大学は、国家有用の人材を供給すると同時に、世俗とは無関係の真理追究をする場という二つの性格をあわせもつものとなった。その結果といえば、政治や社会からの分断であり、アカデミズム内部での政治的社会的無知の蔓延であった。(26-7頁)

なるほど、明治時代にすでに基本的な方向付けがなされていたというわけか。しかし、京都学派の例を考えると、ちょっと単純化しすぎかなあ。もうちょっと勉強する必要がある。

あれ、208ページのあたりの記述は、こないだ岩波ブックレットで引用した箇所のコピペになってるな。どうでもいいが。