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シビル・ミニマムの思想

シビル・ミニマムの思想

市民社会と国家

こうしてシビル・ミニマムは、いわば明治以来の官僚中心の国家理性そしてとくに高度成長の今日的推進力となっている企業理性にたいして、市民理性を提起しているのである。(274頁)

そうか、畢竟シビル・ミニマム論も福沢と同じ「市民社会活性化」論なわけか。

またこのシビル・ミニマムをめぐる対決は、明治以来の系譜をつぐ思想の「天下国家」的性格と今日成熟しつつある思想の「市民自治」的性格との対立であると位置づけなければならない。・・・いわばこれは松陰的人間型と諭吉的人間型とに対比すべき問題である。(286-7頁)

う、松陰的人間型ってなんだ? 吉田松陰も勉強する必要があるな。

シビル・ミニマム

シビル・ミニマムは「都市生活基準」であり、「市民の権利」と「政策公準」の二つの性格を持つ(273頁)。シビル・ミニマムを自治体がそれぞれの都市の状況において達成することで、ナショナル・ミニマムを底上げする(275頁)。

今日の日本も、ようやく先進国水準にたっすることによって、国家観念における政府=機構概念と国民=団体観念とが分離しはじめたとみなければならない。さらに市民社会の成熟にともなって、この国民は、「社会」あるいは「市民」へと転化していく。(284頁)

いまだに政府におんぶに抱っこのような気がするが、NPOだとか何だとかで市民社会が成熟しつつあるんだろうか。

[日本は西洋に追いつけ追い越せという国家目標をある程度達成してしまったので] 今日の日本の国家目標は、複数政党がそれぞれ提起し、国民がそれを選択しなければならない。とすれば、各政党間で一致できる最低の線は、シビル・ミニマムついでナショナル・ミニマムの充足ないし上昇であり、それ以上には国民的同意を調達しえないであろう。(284頁)

しかし、シビル・ミニマム(社会保障、社会資本、社会保健)を満たせば、(より?)成熟した市民社会ができるというストーリーがよくわからんな。「直接民主主義自治管理」(300頁)という契機が重要なのかな。

自治か管理か

大学問題で問われているのは、大学のみならず、ひろく日本における民主主義の可能性という問題である。大学紛争処理というかたちで政府が提出した大学法案は、大学機能の回復という名における大学自治の否定であり、しかも大学自治をその一環としてくみこんでいる国民の自治能力の否定を意味する。、、、そこではさしあたって学生自体をふくむ大学関係者の自治能力が試練にかけられているのであるが、さらに国民の直接民主主義的な自治能力が問われているのである。(308-9頁)

今日の民主主義をめぐる争点は、民主主義の形骸化による官僚管理か、それとも民主主義の分節化による自主管理か、へとしぼられざるをえない。(314頁)

なるほど、これは革命の書だったのか。直接民主主義万歳。しかし、やはりシビル・ミニマムの達成という話と、直接民主主義万歳の話の間には必然的なつながりがない気がするな。
「地域民主主義」「自治体改革」「シビル・ミニマム」は、すべて松下圭一の造語だそうだ(390頁)。