少し遅めに起床。ネコのエサやり、トイレの片付け。何か夢を見ていたが、ネコの相手をしながらニュースを見ていたら忘れた。
食器の片付け、シリアル。明日は終戦記念日か。今日も暑くなるそうだ。
朝、ゴミ出しをしてからしばらく某翻訳チェック。少しスイッチ。
それから急いでシャワーを浴びて某インタビュー。学校保健。
それから少しスイッチ。マッキーのお勉強。あっという間にお昼。
少し某推敲作業。再度一通り終わったので、自分で提案してしまったコラムを書かないといけない。
ちょっと思い出して、自分のウェブサイトのGoogle検索をアップデートした。こちらのはてなブログの内容も検索に引っ掛かるようにしてある。下記の検索ボックスは上記サイトにあるのと同じもの。作り方はGoogleのヘルプサイトを参照した。
いいかげんお昼を食べないと。
お昼は蕎麦など。ベインのミル評伝を読んでいる。ミルは記憶力が悪く、景色を見るのは好きだが芸術の才能もなく、植物集めをしていたが素人の域を出ない云々。父子ともども、研究は余った時間でやるものと考えていたが、仕事をせずに研究だけしていたら、優れた研究をもっとできただろう云々。しかし、ミルが執筆活動を喜んでやっていたのは(p. 159)、まさにそれが趣味に留まっていたからではないだろうか。
そういえば、下記の引用がしばらく前から思い出せず、苦しんでいたんだった。上記の検索では見つけられなかったが、過去の日記を少し見直していたら出てきた。
他人も同じことを経験し、その経験の記録を残したということを知らないまま
人生を送るほど孤独なことはありません。
自分の私的な経験に思考の枠組を与え、また慰めになる考えを与えるために、
大人であれば誰でも、ヨブ、オルフェウス、キルケ、ルツ、リア王、イエス、金の子牛、ホーリーグレイル、アンチゴネについて考えることができる必要があります。
---Helen Vendler, from `Modern Language Association, Presidential Address 1980'. in Bellah et al. eds., Individualism & Commitment in American Life, p. 451.
夕方、ベインの文章を読んでいたら寝てしまう。
「分析哲学を勉強しています」
いまではもう、あまりいないと思いたいが、かつては「分析哲学を勉強しています」と自分から言うようなひとが結構いた。(……)
また、哲学の学会で出会う「分析系」の発表や論文の中には、いまでもなお、「海外の」最新の論文を読んで書いたレポートのようなものが見られる。(……) そうしたひとの発表や論文の特徴は、自身の立場が明瞭でないことである。海外の著者の比較的新しい論文や本にある議論を紹介して、最後に付け足しのようにして、いくつかの問題点を指摘して終わるのが典型的である。しかも、そうした問題を自分がどう解決するかについて述べることもしない。
そうしたものに、もう一つの共通して見られる特徴は、そこで参照されている文献の中に、日本のものがほとんどないことである。日本の分析哲学もまた、一世紀とは言わないが、半世紀を超える歴史を持っている。(……) それにもかかわらず、そうしたものの多くが現在ほとんど知られていないのは、日本の哲学の悪癖である「海外の流行追い」がまだ直っていないからであろう。日本以外の場所で何が起こっているのかについて無関心になることをすすめているのではない。必要なのは、これまでに何がなされてきたかを考えるときに、日本でなされた仕事も考慮すべきだということである。
そのためには、日本の分析哲学史と言うものが望まれるだろう。
下記の引用を見て、上の話を思い出した。たぶん飯田先生に「何の研究しているの」と言われたら「Philosophierenしています」と言わないといけないんだろう。それはともかく、ちゃんと日本の哲学史もやらないといけない。
現在の日本の学生を見ていると、 西洋の思想家の著作は、 たとえその思想家が二流三流であってもありがたがって読むけれども、 日本の思想家の著作はあまり読まない傾向があるように思われます。 こういう現象を見ると、われわれは西洋の思想家を、 あるいはさらに一般的に西洋思想そのものを何か権威あるものと考えることから、 まだ脱却していないといえるでしょう。……。 西洋思想を権威と考えるのではなく、われわれみずから考えてゆかねばなりません。
---岩崎武雄、『正しく考えるために』、講談社現代新書、1972年、36-7頁
夜、夕食。ベルギーのゾンビ映画(Yummy)を途中まで。
それからまたベインのミル評伝。あ、なるほど、父ミルが1773年に生まれて子ミルが1873年に死んでいるので二人でちょうど100年なのか。ベインはセントアンドルーズの講演について結構手厳しいな。そもそもそんなにたくさん教えられない、というのが大きな批判になっているようだ。少しスイッチ。
夜中、シャワー。
少しだけオースティン。オールソウルズではアリストテレスなどの古典とライプニッツを勉強していたという話。新しいものを吸収しようとしていたライルやエアと違い、一世代前のオックスフォード哲学者とかなり似た研究スタイルと言える。
それからまたしばらく某推敲作業。ミルの女性の隷従についても少し調べる。