私がこれまでに出会ったいかなるダメなレポートについても、私はいつも以下のことに気が付いたものである。すなわち、学生はしばらくは通常の仕方の推論で進み、神の存在を論証するか、あるいは人間の諸事に関する主張などを行う。そしてまったく突然、驚いたことに、「である」や「でない」といった命題の通常の結合ではなく、「です」や「ます」と結びついた命題ばかり目にするのである。この変化は気付かないほど小さいが、しかし決定的な重要性をもつものである。なぜなら、この「です」や「ます」は何らかの新しい関係か断定を表しているので、それははっきり述べられ、説明される必要があり、そして同時に、まったく信じられないと思われること、すなわち、この新しい関係が他のそれとはまったく異なる関係からの演繹であるということに対して理由が与えられる必要があるからである。