え、こだまの世界?

A day in the life of...?

読了

梅原猛の授業 道徳 (朝日文庫 う 10-3)

梅原猛の授業 道徳 (朝日文庫 う 10-3)

戦後の日本でこのような民主国家にふさわしい道徳を語った人はほとんどありません。私はいまの日本の道徳的な状況を憂えて、あえて恥を忍んで道徳について語ったわけです。(288-9)

戦後50年以上たちますが、戦後の新しい社会にふさわしい道徳を説いた人はまだありません。(290-1)

日本の伝統の宗教である仏教を中心にして、儒教神道キリスト教を取り入れた道徳を、しかも現代日本の社会の要求に応じて説いた書物はほとんどないといってよい。これはまさに日本で初めての仕事である…。(あとがき、293)

たしかに、倫理学の分野ではその通りなのかな。実践倫理とかはどう考えるんだろう。

ここではまだあまり誰によっても語られていない説が語られている。一つは、道徳は人間のみにあるのではなく、動物にもあるという説である。(あとがき、294)

あれ、ヒュームが何か言ってなかったっけ。もう眠いので近いうちにシンガー参照せよ。梅原先生の問題は、「動物も道徳があるんだから、人間も道徳的に行為せよ」という「自然に従え」論法を使う点。植物も動物も努力しているんだから君たちも努力せよ、動植物も「進化」という創造を行ってきたんだから、君たちも創造を行え、など(第10章)。たとえば以下の引用。

動物ももちろん努力しています。アリが一生懸命に働いているのはよく分かりますが、なまけているような動物でも、実は努力しているんです。自分の生存を全うし、できるだけたくさん自分の子孫を残すために努力している。ナマケモノというのは、名前からしてなまけているように思いますが、ナマケモノだってエネルギーを節約して、子孫を残そうとしている。
努力をしない植物や動物は滅びてしまうんです。植物や動物でもどんなに努力をしているかを考えれば、人間も努力をしなくてはならない。(226)

疑問。(1)動植物が「努力」をしているというのは、人間が「努力」をするというのと同じ意味でそうなのか。(2)たとえ動植物が人間と同じ意味で努力をしているとしても、なぜ人間は動植物と同じことをしなければならないのか、また、どの程度同じことをすべきなのか(エネルギーを節約して子孫を残す努力をする?)。

道徳の根拠を動植物に基礎付けるのはおそらく難しい。梅原先生は、もう一つのルートとして、道徳の根源を「母の愛」に置くと言っている(第四章、あとがき294ページ)。道徳の根源は父親的な正義か母親的な愛かという話で、これも必ずしも新しい話ではないかもしれないが、これについては少しよく考えないといけない。

しかし、眠いので今日はここまで。