少し遅めに起床。少し喉が痛い。シリアル、朝刊、洗濯物。
朝、しばらく自宅で授業準備。
お昼、弁当を買って大学へ。
お昼すぎ、某英語生命倫理。ぼーっとしており、なぜか開始時刻を15分間違えていて学生に迷惑をかける。幹細胞研究。改めて全体像を考えると面白い。
昼下がり、某氏に手伝ってもらいながらメールの返事など。喉がさらに痛くなる。
夕方、ようやく某業務に着手。すぐには終わらないことに気付き、呆然とする。
夜、帰宅して夕食。
夜中、風呂。ミルと廣松。
「以前の不平等は、今の人々からすると非常に専制的に見えるので、こんなものが許されるということがどうしてありえたのかと、いぶかしく思えるほどである。しかし、人々は、おそらく自分たちも便宜の考え方を誤解していて、平等の名の下で他の不平等を許していることを忘れているのである。」続
— 児玉聡 (@s_kodama) 2023年12月6日
「社会改善の歴史全体が、これまでどういう一連の変化だったかと言えば、社会の存続にとって最も必要だと考えられていた慣習や制度が、次々と例外なく、不正と専制の烙印を押されるところにまで成り下がっていく、という変化だった。」続
— 児玉聡 (@s_kodama) 2023年12月6日
「奴隷と自由人、領主貴族と農奴、都市貴族と平民といった区別がそうだった。肌の色や人種や性による上下の区別もそうなっていくだろうし、すでに部分的にはそうなっている。」
— 児玉聡 (@s_kodama) 2023年12月6日
以上、『功利主義 (岩波文庫)』(J.S.ミル, 関口 正司 著)より
私もそうだけど、ふだんから見えているはずの不正義が認識できないというのは、いかに人間が都合のよいものだけを見て、不都合なものは見ないようにしているかということだ
— 児玉聡 (@s_kodama) 2023年12月6日