定時起床。シリアル、朝刊。
朝、歩いて大学へ。午前中は某授業準備と某授業。ヘアの『道徳的に考えること』。
お昼、ベジラーメン。
お昼すぎ、某氏に手伝ってもらいながらメールの返事。終わらぬ。
昼下がり、某第二演習。ドーピング。
夕方、一服してから某氏の研究相談。
夜、バスで帰宅。夕食。食後、娘の宿題の手伝い。皆既月食を少し見る。
夜中、風呂。ニコマコス。倫理学しているだけでなく、倫理的に生きないと。
かくして、ひとは正しい行為を行なうことによって正しいひととなり、節制的な行為を行なうことによって節制的なひととなるということは妥当である。かかる行為をなさないでいては、誰しも善きひとたるべきいかなる機会をも持たないであろう。
しかし、実際はかかる行為をなさないで言論に逃避し、そして、自分は哲学(フィロソフェイン)しているのであり、それによってよきひととなるであろうと考えているひとびとが多いのであって、彼らのかかるやりかたは、いわば注意して医者の言葉を傾聴しながら少しもその命令を守らない病人に似ている。それゆえ、かかる仕方で手当を受けている病人が身体についてよき状態でありえないだろうと同じように、このような仕方で哲学するひとたちも、彼らの魂についてよき状態であることはできないであろう。