明日発売なので、出版記念かつ備忘録を兼ねてメモ書き。
出版の経緯
光文社(様)には、以前、「立ち止まって、考える」のオンライン講義のときに最初に声をかけていただいた。あいにくその時は企画が実現しなかったが、2023年秋ごろに再度お話をいただき、新書の「あとがき」にも書いたように、トントン拍子で出版に至った。
メールのやりとりを見直すと、2024年に2月ぐらいから書き始め、夏休みに泣きながら書き、終戦記念日ぐらいに脱稿したようだ。執筆は気分を出すためにegword Universal2を使って縦書きで書いた*1。このワープロは秀逸だが、編集者にはPDFで原稿を送ることになってしまい、やりとりで面倒が生じたので、編集者も同じソフトを使ってない限りは、あまりお勧めできない。
タイトルの付け方
ミルの『自由論』は、なぜかまだ某100de名著の番組で取り上げられていない。これだけ次々と翻訳が出されているのに、であるっ。それもあって本書を執筆する気になった。
その経緯もあり、私が最初に提案したのは『90分de自由論』だった。しかし、これはあえなく却下。『自由論を読む』的なタイトルは、『ミル「自由論」再読』を含めて結構使われていたのでこれもダメ。ワーキングタイトルは『人物で読み解く「自由論」』のようなものだったが、これもあまり内容に即していないのでダメ。編集者が提案してくれた『ミル「自由論」解読』というのも、「解読」(解釈?)はしていないだろう、というのでダメ。
結局、「まえがき」で使った「古典の歩き方」という表現をうまく使えないかという話になり、『ミル『自由論』の歩き方』に落ち着いた。最初はちょっと変なタイトルだと思ったが、しばらくすると見慣れてしまった。
オビ
一般に、帯の文章は、基本的に編集者の煽り文句なので筆者に文責はない。だが、今回は少しこちらからも提案させてもらって、まあ無難なところに落ち着いた。最初にあった「京大人気講義」的な表現は「いや、そんなに人気じゃないんで…」と実状をお話して柔らげてもらった。
編集者は「自由に生きよう、変でもええやん」と関西弁にしたらよかったかも…と悔やんでいたが、京大で関西弁でしゃべっている人は必ずしも多くない。
その他
「あとがき」の謝辞にある通り、初稿の段階で、何人かの人に読んでもらった。ミル研究者の方々にもチェックしてもらい、誤りも指摘してもらったが、最終的な責任は当然ながら私にある。これからミル研究者からの攻撃に耐えるために、穴熊囲いを作って退避する予定。
また、今回は通常ミルについて言われる言論の自由や他者危害原則だけでなく、「普通規範」という言葉を造って『自由論』第3章のテーマを掘り下げて論じた点が個人的には独自なところだと思っている。本当はこの規範の良い点、悪い点についてももっと吟味すべきだが、それは別の著作になるだろう。
あと、昨日とつぜん思い出したのだが、他者危害原則については、ずっと以前に「ボクシング存廃論」というのを書いていたのだった。これはプロボクシングは仮に参加者同士の同意があったとしても禁止すべきであるという議論。他の多くのコンタクトスポーツも危険は危険だが、ボクシングはそれらとは異なり、頭部への打撃によってダウンさせて10秒間立てなくすることで勝利するという、危険度の高いルールで実施されているためである。
二人の成人同士が同意していれば原則何をしても自由というのがミルの主張だが、では同意していればグラディエータースタイルの殺し合いをしてもよいのか。ミルは奴隷契約はダメだと言っているが、その限界はどこにあるのか。こういう文脈で、ボクシングの話も出すべきだったかもしれない。この話、今年の夏のオリンピックのときに別口の依頼を受けて断ったのだが、なぜか新書に書くことも思い付かなかった。成人同士の同意の上での行為については、ミルの記述があまり濃くないからかもしれない。まあこれもまた別の機会に。
というわけで、めでたく年内に出来上がった。下記は「まえがき」を全文掲載したもの。ぜひ読んでもらえたら。
以下は、出版社の方で用意してくれた現代ビジネスの記事(一部、Yahoo!ニュースなどにも転載)。本文の一部が編集されて掲載されている。
一つ目はミルの他者危害原則の概要と選択的夫婦別姓の話。
二つ目は自堕落な生活についてミルが何と言うか、という話。モラリティとプルーデンスの区別という比較的専門的な話が出ている。
三つめは「自殺の自由」の話と、「他人に全く影響のない行為なんてない」という批判に対してミルはどう答えていたか、という話。ミルが自殺の自由についてどう考えたかについては異論もあるだろうと思う。
ついでに、下記の記事は以前(2021年春頃)書いたミルの『自由論』を紹介したもの。
*1:ちなみに新書は41字×15行だった。