大庭健先生が先日72歳で亡くなられたので、思い出を記しておく。
日記を少し見直したところ、最初にお会いしたのは大庭先生が京大で集中講義をされたとき(1998年12月)だったようだ。
京大に集中講義に来たときはあまり出なかった。今思えばもったいない話だが、そのときはまだハーマン流のメタ倫理などを理解していなかったため、あまり関心がなかった気がする。
大庭先生と言えば現代倫理研究会。院生のころ(1999年)に一度発表させていただき、またODのときはよく出席させていただいたが、結局アウェイ感が抜けなかった気がする。
東京にいたときに専修大学でのメタ倫理の授業に何年か出させてもらった(2002-3年ごろ)。ブラックバーンやマクダウェルなどの講読だった。大庭先生の教え子の院生たちの英語力がすごいなと思った記憶がある。終了後によく近所のインドカレー屋に行っていた。大庭先生はだいたいワインしか飲んでいなかった。近所に本社のある某編集者が原稿の催促に来ていたことを覚えている。岩波新書の『善と悪』を出すころだった。この本については、善悪と正不正の区別をした方がよいのではと指摘すると、英米哲学的にはそうだが、日本ではそういう区別があまりないのでしなかった、というような答えをいただいた記憶がある。
そのインドカレー屋で、ある晩、医療倫理学講座に就職しますと伝えたら、「やはり野に置け蓮華草」と言って帰られたことをよく覚えている(2003年の秋ごろ)。応用倫理学についてはまったく評価していない先生だっただけに、資源の無駄遣いだと思われたに違いない*1。私自身は当時の選択を後悔していないが、今から思えばもうちょっと事前によく相談しておくべきだったかもしれないとも思う。
大庭先生が中心になって企画してくれた若手研究者のための科研集会で河口湖のホテルに泊まった記憶がある(2006年8月)。北大の方々などと知り合うことができて貴重な経験だったが、このころはまだ自意識が芽生えていなかったせいか、私はあまりその機会を活用できなかった気がする。
その後も日本倫理学会等でよくご一緒した。私が適当な発表ばかりしていたので、懇親会のときなどに、いつもやんわりと厳しいコメントをいただいていた気がする。懇親会では酒しか飲まず、カゲロウのような方だなあといつも思っていた。ただ、スキーをやるとかで、体は鍛えているんですと言って、足首に巻いていたおもりを見せてもらった記憶がある。
ブラックバーンの翻訳(『倫理的反実在論: ブラックバーン倫理学論文集』勁草書房)で仕事をしたのが最後。訳文に赤を入れてもらって感謝している。
日本倫理学会の評議員会でご一緒するようになってからは、学会の過去を熟知し、また学会の未来を憂慮する先生だなあと思っていつもご説を拝聴していた。体調不良の件は以前から聞いていた。会長が最後の花道になったのかどうか。やり残したことは多かっただろう。衣鉢を継ぐ立場にはないが、日本の倫理学界を盛り上げていくことで、死後の選好を少しでも充足したいと思う。
大庭健さん死去:朝日新聞デジタル https://t.co/q13TRL2AWL
— 児玉聡 (@s_kodama) 2018年10月13日
東京新聞:大庭健さん 専修大名誉教授、倫理学、分析哲学:おくやみ(TOKYO Web) https://t.co/PNazrg1xAw
— 児玉聡 (@s_kodama) 2018年10月13日