え、こだまの世界?

A day in the life of...?

道徳教育におけるエウチュプロン問題

某娘に「〜したら、怒るよ」とか「〜したら、誰それに怒られるよ」などと言って従わせようとするわけだが、コールバーグ的にはまだ前慣習的レベルにいる娘はなかなか従わない。それはともかく、「怒られるから悪い(不正だ)」ではなく「悪いからこそ怒る」という点がいつ理解されるのかというのは興味深い。娘のように道徳を学ぶ立場からすれば、怒られ続けることによって何が悪いのかを習得すると考えられる。しかし、いずれは仮に怒る人がいなくても、「悪いものは悪い」ということを理解するようになるだろう(ならないかもしれないが)。そこの切り替えはどういうことがきっかけで起きるのだろうか。

倫理学的には、次のような順番で教えるのがわかりやすいかもしれない。「ある行為が不正なのは、それが周りから怒られたり、罰されたりするからと一般には考えられがちであるかもしれない。しかし、それは順番が逆で、怒られたり罰されたりするのは、それが不正だからである。すると、何が行為を不正にするのか。不正さはそれ以上根拠が問えないという立場もありうるが、功利主義やカント倫理学では、不正さを次のように説明する。すなわち…」