え、こだまの世界?

A day in the life of...?

嫉妬心について

ちょっと前の記事だが、例の「かわいいので抱っこさせて」と言って乳児を抱かせてもらい、足の骨を折るという栃木県足利市の話。

 これまでの県警の調べに対し、「幸せそうな親子がねたましかった」「離婚して苦労している」「弟と比べて学歴で劣っている」など、五月女被告が口にした言葉は劣等感を象徴するものが多いという。県警はそうした劣等感のはけ口が乳児に向けられた可能性があるとみて、引き続き五月女被告を追及している。
 犯罪心理学が専門の森武夫・専修大名誉教授は今回の事件について「嫉妬(しっと)心やコンプレックスが他人の子どもに向けられた事例と考えられる」と分析する。更に「コンプレックスが解消されない限り、同様の事件を発作的に起こしてしまう恐れがある」と指摘している。
[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100620-OYT1T00046.htm:title=
劣等感のはけ口、乳児に向けられた可能性(2010年6月20日13時51分 読売新聞)]

思いつくままにメモ。

  • 嫉妬心。幸福度調査をする場合、こういう嫉妬心も考慮に入れる必要があるのかないのか。
  • 絶対的な幸福と、相対的な幸福。仮に、「健康で文化的な最低限度の生活」というのが客観的な意味での幸福の水準であるとする(これ以下は不幸、これ以上は幸福)。しかし、この基準とは別に、絶対的な幸福の基準を満たしているとしても、他人と比べることで、主観的に不幸になることもありうる。ということで幸福度調査は難しい。
  • 他人が自分より幸福に見えた場合に、対応には三つある。1.他人のように幸福になろうと努力すること。2.他人も自分のように不幸になるように努力すること(今回のケース。レベリングダウン)。3.自分は自分、他人は他人と考え、比較するのをやめること。まだある気がするな。
  • 幸福度については、次の文献も参照のこと。幸福度研究の現状と課題――少子化との関連において
  • マルクスの名言。

家は大きくても小さくてもよい。まわりの家が同じくらいの大きさであるかぎりは、その家は住居としてのあらゆる社会的要求を満たしている。しかし、その小さな家の隣に豪邸が建つと、その家は小さな家から小屋へと縮んでしまう・・・文明の進展につれてその家がどれだけ大きくなろうとも、隣の豪邸が同じだけ、あるいはそれ以上の規模で大きくなれば、相対的に小さな家に住む住人はますます居心地が悪くなり、不満を覚え、四つの壁に閉じ込められているように感じられるだろう。

マルクス『賃労働と資本』(ピーター・シンガー『グローバリゼーションの倫理学』219頁に引用あり)