え、こだまの世界?

A day in the life of...?

産婆術

産婆たちと同様の事情で、ぼくは智慧を生めない身なのだ。だから、既に多くの人たちがぼくを難じて、他人にたずねるばかりで、自分は何の智慧もないものだから、何ごとについても、自分一個の見識は示さないと言ったのは、いかにもかれらの非難の通りである。これにはしかし、次のような仔細があるのだ。ぼくは取り上げの役を受け持つように、神が定め給い、生む方の役は、封じてしまわれたのだ。だからこそ、ぼく自身は、まったく少しの智慧もない身であり、自分の精神が生んだもので、これといって智慧者めいた発見などは、何もないのだ。ところが、ぼくと交わりを結ぶ者はというと、当初のうちこそ全然の無智と見える者もないではないが、やがてこの交わりが進むにつれて、神の許しさえあれば、すべての者が、わが目にも他の目にも、驚くばかりの進歩を遂げることは、疑いないのだ。それがしかも、これは紛れもない事実なのだが、ついぞこれまで、何ひとつとしてぼくから学んだというわけではなく、ただ自分だけで、自分自身の許から、数々の美事なものを発見し、出産してのことなのだ。ただしそうは言っても、その際の取り上げは神の御業であり、ぼくもまた、それには微力を致しているのである。

(プラトン、『テアイテトス』、岩波文庫より)

自分は何なんだろう。産婆か。あるいは産む者か。

いずれにせよ、対話とか議論を上手にできるよう、成長すべし。

ところで、どうでしょうか、ゴルギアス。いまわたしたちが話し合っているような風に、一方は質問し、他方は答えるというやり方を、これから先もつづけてもらえるでしょうか。そして、ポロスもやりかけていたような、あのひとりで長い話をすることのほうは、また次の機会まで延ばしていただく、ということも……。いや、それはもう約束ずみのことだといってよいですから、その約束にそむかないで、質問には短く答えることにきめてください。

(プラトン、『ゴルギアス』、岩波文庫より)