負けず嫌い(自分に負けるのも嫌い)。反体制派も嫌い(「政府がやることは間違っている」というのは、ad hominemだ。自分は「体制派」ではないと思っているが、二分法で考える人には理解されない)。一般に外野は嫌い(そもそも「外野」というのは存在しないのかもしれない)。反体制派と外野は少し違うと思うが、コミットメントしない人は嫌い。自分なりの美学はある気がするが、美的センスはない。ユーモアのセンスもない(努力しているが)。人とは違うルートを取るのは好き。「オレがやらねば誰がやる」という使命感から行為することが多い(実際は「誰かがやる」んだろうけど)。何かやらなければと思っているが、何をやればいいのか(また、何に向いているのか)わかっていない。最近他人の幸福に配慮するようになりつつあるが、往々にしてパターナリスティックになっていていけない。かっこの多い文章だ。
追記。なぜ反体制派が嫌いなのか、仮にも政治哲学を勉強しているんだったら理論立てて説明するべきだという指摘あり。これはよく考える必要がある重要な指摘で、まず「反体制派」および「体制派」とは何かについて十分に定義する必要がある(さもないと、単に自分と異なる立場の人を「反体制派」と名づけるだけになる可能性がある)。上で少し述べたとおり、体制派/反体制派という二分法は単純すぎる点、体制派のやることは誤りであると前提する点が一番の問題だと思うが、そう議論するさいに、自分自身が単純な二分法に陥らないように気をつける必要がある。あら、こりゃやぶへびだな。