- 作者: 丸山真男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/01/20
- メディア: 新書
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後進国の知識人
私も学者のはしくれですから、よく文学者からからかわれるのです。日本の学者というのはヨコのものをタテにしただけ---つまり横文字を読んで、それを日本に紹介しただけ---じゃないかと。たしかにそのとおりです。しかし、ヨコのものをタテにするというのは実に大変なことなのだ、ということも考えていただきたい。これは、福沢を理解する上で非常に大事なことなのです。まさに福沢は、ヨコのものをタテにするために大奮闘した先駆的思想家です。……。ヨコのものをいかに自家薬籠中のものとしてタテにしたか。そこに思想のオリジナリティがあったのです。40-41頁
最近はタテのものをヨコにしてみたり、いろいろ大変です。
結局、思想史というのはすべて、従来の思想を読み替え、読み替えしてゆく歴史なのです。昔の思想を読んで読んで読みぬいて、それを新しく解釈したり、新しい照明をあてていく。そういうことの歴史にすぎない。42頁
酔っ払っているせいか、まだそこまで達観できないなあ。歴史についてと同様、思想史についても、ウィグ史観だとか、皇国史観だとかいう感じで解釈するわけか。ベンサムをリベラリズムの流れで読むとか、エピクロス的伝統の中で読むとかか。丸山先生のこの書き方だと、どうも「正解はないんだからどう読んだってかまわない。役に立てばいいのだ」という感じがするんだな。読み込みすぎか。
日本の直面する課題は何かという問いがまず先にきて、そしてそれを解決するためのいわば知的道具としてヨーロッパの思想を駆使するという場合と、ヨーロッパの高級文化だからと、ただ有難がって翻訳する場合とは、大いにちがってくる・・・。43頁
思想(史)の道具的価値と内在的(好事家的)価値。
○○器ならず
有名なウェーバーが引用している、論語の「○○器ならず」。一つの専門のエキスパートは○○ではない。器というのは○○が使うものであり、専門家というのは○○が使うものなのです。○○たる士大夫は、あらゆる領域のことを適当に少しずつ知っているが、しかしいわゆる専門家ではなく、それらを治国平天下のために使うものです。科挙試験とか古典の試験をするというのはそういう意味をもっている。J・S・ミルが真に教養ある人間とは、すべてについて何事かを知り、何事かについてはすべてを知る人間だ、といっているのも、これに似た考えです。44頁
さて、ここで問題です。○○に入る言葉は次のうちどれでしょうか。
- 狐
- 倫理学者
- 君子
答えは自分で調べてください(センター試験で出せそうなくらいの良問だ)。