- 作者: 中村清
- 出版社/メーカー: 東洋館出版社
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本
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昨晩、寝る前にも考えていたが、次の文の問題が少し分かった。
人間は、人間であるかぎり、道徳にしたがうことを望んでいる。あらゆる困難を越えて道徳を守る人間もいれば、わずかの困難に負けて不道徳を犯してしまう人間もいる。道徳を守る人は、自らを正当化する必要はない。本来望んでいることをしているからである。逆に、不道徳を犯す人間は、自分の不道徳をなんらかの仕方で正当化しようとする。不道徳がその人の本来の心に反しているからである。この本質的事実に気づけば、人間は進んで道徳にしたがうことができるようになるであろう。道徳を守ることは自ら望んでいる生き方なのだということに気づかせること、これが道徳教育の基本である。81頁
この文章はもっともらしいが、心理的利己説の裏返しでしかないのだ。それは、「道徳」と「不道徳」をひっくり返してみるとわかる。
人間は、人間であるかぎり、不道徳になることを望んでいる。あらゆる困難を越えて不道徳になる人間もいれば、わずかの困難に負けて道徳的に行為してしまう人間もいる。不道徳な人は、自らを正当化する必要はない。本来望んでいることをしているからである。逆に、道徳的に行為する人間は、自分の道徳的行いをなんらかの仕方で正当化しようとする。道徳がその人の本来の心に反しているからである。この本質的事実に気づけば、人間は進んで不道徳に行為することができるようになるであろう。不道徳に行為することは自ら望んでいる生き方なのだということに気づかせること、これが道徳教育の基本である。
これでも意味が通じてしまう。両方の文章ともまったく的が外れたことを言っているわけではないが、それぞれ一面的な真理でしかない。おそらく真相は、道徳的な行為も不道徳な行為(それが何であれ)も、われわれが「本来的に望んでいること」の一部だということなのだろう。利己心を人間本性と見る人にとっては、「道徳がその人の本来の心に反している」は真理であり、道徳心を人間本性と見る人にとっては、「不道徳がその人の本来の心に反している」こそが真理だろう。われわれの本性は簡単にはわからないと思うが、シンガーの言うとおり、最近の実証研究の知見も参考にして考える必要があるだろう。