え、こだまの世界?

A day in the life of...?

『佐賀のがばいばあちゃん』読了

佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)

佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)

某妻に勧められてわたしが知らなかったベストセラーの本がたまたま某妻の実家にあったので、それを貸してもらって。
帰りの車内で読む。
極貧であっても幸せに生きることができるという、ポストバブル後の格差社会に生きる負け組に対する著者(金持ち?)からの激励の書。
おもしろく読んだが、ほとんどすべてが一文一段落で、「段落」という発想がないのが読みにくい。
毎日新聞の社説にしろ、この本にしろ、いったいどうなっているのか。
たしかに『赤頭巾ちゃん気をつけて』は一段落が長く感じたが、段落がないと断片的な思考になってしまう。
もはや段落を作るという発想はなくなってしまったのか。
(ちなみに、この文章も試みに「一段落一文主義」で書いてみている)
一つ気になったのが、「本当の優しさとは、相手に気づかれずにすること」という、ばあちゃんの格率(78頁、206頁、229頁)。
これは帰結主義的に正当化できるのかな。
「相手に気づかれるなら、本当の優しさではない」。
なぜか。
相手にそれと気づかれた場合、相手はすまなく思ったり、同情はごめんだと拒否したりして、親切という行為がうまく行かないか、行為の効用が下がるから、というのが模範的な答えか。
また、恩返しを期待したりすると、利己心から親切という行為をやっていると思われ、ありがたみが下がるから、というのもあるか。
しかし、まったく気づかれない親切というのは、ギュゲスの指輪じゃないが、それをやる動機はあるんだろうか。
なるほど、ギュゲスの指輪の裏返しなんだよな、この話は。
ちょっとまたあとで考えることにする。
しかし、やはり一段落一文主義はあほくさいな。