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現代政治 発想と回想

現代政治 発想と回想

おじいちゃんの知恵袋的なコメントがとてもおもしろい。勉強になる。

ロックの主著名にあるCivil Governmentをめぐって『市民政府論』という邦訳名は私がつくり、岩波文庫の訳書名にもなるのですが、(後略、8頁)

だそうです。他にも、「地域民主主義」(38頁)をはじめ、いろいろ造語したそうです。

東大図書館にもかよいましたが、私の主題に関連する英文図書の多くには「オクスフォード大学寄贈」という朱印がおしてありました。関東大震災の折、寄贈をうけていたのです。大学の国際性をあらためて痛感しました。また、前述のように、日本の社会理論はドイツ系が主流でしたから、時代モノのイギリス系古典本には私がはじめて開くのがあったため、17世紀、18世紀などのインクや紙、皮表紙の匂いから来る感動をえることもできました。これが学者体験なのでしょう。(14頁)

なるほど。学者体験ですか。

政治学は「実証・検証」の学であるだけでなく、基本は「予測・調整」「組織・制御」ないし「構想・選択」、つまり「状況・決断」をめぐる学です。、、、もし、既成の考え方による実証・検証のみにとどまるならば、現状の追認さらには美化という、理論家失格におちいることになります。そのうえ、2000年前後からの日本の構造危機について、これに対応する《転型》の方向と《再構築》の戦略を予測・構想できなかった理論家には、その市民責任も問われます。(4頁)

政治学が実証研究一辺倒ではだめだという批判。その通り。しかし、だから(ラズレットやイーストンのように--だったっけ、もう忘れた)規範理論が必要だというのではなく、天気予報と同じで政治学は予測を立てなければならないという。予言の学なんだな。マルクス

「予言とは違います。科学的な知見に基づいた予測です」

「すみません。天気予報があんまり当たらないものだから、つい予言などと言ってしまいました」

「天気予報と政治学を同じにしてもらっては困る」

「すみません、反省します」

最近では、ヨーロッパ、アメリカでも、マクロの理論枠組の水準はおちています。私は大学院生によくいっていたのですが、読むにたる大きな理論枠組は、政治学をはじめ経済学、社会学でも、30年単位でいくつかがでるにすぎない、と考えてよいでしょう。(28頁)

おじいちゃんの知恵。1969年のイーストン・アメリ政治学会会長の論文って、いつか読んだ気がするな。どこにあったっけ。

戦前からの学術雑誌『思想』が地域・自治体問題を特集したのは、戦後この号が最初で最後という事態は、日本の旧来のアカデミズムの、予測能力を欠いた非生産性あるいは閉鎖性を示しているのではありませんか。(39頁)

たぶんこのおじいちゃんの言うとおりなんだろう。でもまあ、『思想』も商業誌だから、商業的な理由もあるんだろう。ちょっと恨みが入っている気がする。

町内会・地区会の崩壊が進む2000年代ではまた、地域レベルについての「ミニ自治」論が安易に理論家によって提起されます。だが、この立論も市町村の政治・行政がたえず補強・再編し、さらに各地でながい歴史の追憶をもつ、町内会・地区会の問題性の重さについての、「無知」からきているといえるでしょう。(40頁)

therefore, 歴史を勉強しましょう。おじいちゃんの本も読みましょう。