え、こだまの世界?

A day in the life of...

某校正作業、某事務局作業など

ほぼ定時起床。シャワー、朝食、朝刊。

朝、娘を保育園に送ったあと、自宅から自転車で大学へ。午前中は某校正作業などの雑用。

お昼は少し遅めに某コレクションでガーリックライス。それから某ルネまで歩いて行き、Surface Pro 4を触ってみたり。欲しい気もするが、なくてもよい気もする…。少し雨が降り出す。

昼下がり、某事務局作業。夕方、小雨の降る中、医学部の某所に行き、こないだの某研究会のときに預かってもらっていた段ボールを受け取り、帰宅。途中、雨足が強まってよく濡れる。夏っぽい雨。

それから夜まで自宅でしばらく仕事。夜、夕食。仮面ライダー。夜中、娘とシャワー。

今日もあっという間だったな。研究日だったが大したことはできなかった。が、もう寝るべし。

これからの死に方 (平凡社新書)

これからの死に方 (平凡社新書)

昼食をとりながら斜め読み。副題にもあるように基本的には葬送についての本だが、第一章で尊厳死安楽死の話、第三章で死後に標本や実験材料になるという話がある。とくに第三章は死者を自動車事故の実験台にする話など、興味深い話題がある。

第一章は治療中止の問題と薬物投与による積極的安楽死や自殺幇助の問題を連続的に説明しており、若干ミスリーディングだと思う。延命措置の差し止めや中止を患者が求める「自由・権利」と、致死薬の投与を患者が求める「自由・権利」が同列に語られている印象を与えるが、前者は英米では「求めない侵襲を受けない権利」であり、本人が拒否しているのに治療を継続するなら、インフォームドコンセントなしに医療行為を行なった場合と同様、身体に暴行を行なったのと同じになるという理屈になるはずだ。他方、致死薬の投与は、それをしなくても医師は暴行をしたことにはならない。とはいえ、「医師には、拒否する自由と権利はないのだろうか」(40頁)というのは大事な点で、医療者の良心的拒否については十分な検討が必要だろう。ついでに、「日本では最高裁安楽死の認められる条件を示したことがあるが」(52頁)というのは事実誤認と思われる。おそらく東海大病院事件の横浜地裁判決のことであり、川崎協同病院事件の最高裁判決(決定)は残念ながら安楽死の要件は示していない。

ついでながら、序章の冒頭に気になる記述が二点あったので指摘しておく。一つに、人間以外に葬送をする生き物はいないという指摘がなされているが、「葬送」の定義にもよるが、現在では象その他の動物が弔いをすることが知られている。(See for example, Death Rituals in the Animal Kingdom (BBC Future))
もう一つは、ネアンデルタール人が私たち人類が栄える前に絶滅したという記述があるが、近年ではネアンデルタール人ホモサピエンスが交配したことがDNAの研究で明らかになっているため、これも正確ではないだろう。(See for example, Neanderthals, Humans Interbred―First Solid DNA Evidence (National Geographic))